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2002/12/06

<鳳仙花>◆老学者の不屈の闘い◆

 教育とは何か。歴史認識はどうあるべきか。32年もの長い間、国家を相手に己の信念を貫き、闘い続けた歴史学者で東京教育大学(現筑波大学)名誉教授の家永三郎さん(89)が11月29日に亡くなった。

 家永さんは、自ら執筆した高校の歴史教科書が文部省の教科書検定で不合格となったことに対し、「検定は教育や表現の自由に反し、違憲、違法である」として65年に日本政府を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こした。いわゆる「家永教科書裁判」である。67年には検定で不合格とされた処分の取り消しを求めて第2次訴訟を起こし、さらに「南京虐殺」などの記述の修正意見は不当だとして84年に第3次訴訟を起こした。

 なぜこれほどまで執拗に家永さんは検定と闘い続けたのか。そこには、戦時中、国が歪んだ皇国史観を国民に強要し、無謀な戦争に駆り立てたとき、歴史学者としてただ傍観し、何もできなかった贖罪意識があったようだ。家永さんは、「うそと神がかりの教科書のために、何千万という国民と隣国の人々が惨死した。全く許せない」と語っていた。

 裁判は第1次、第2次とも原告側の主張が退けられたが、第3次訴訟で最高裁は、「教科書検定そのものは合憲だが、731部隊、南京大虐殺など4カ所の削除を求めたのは裁量権逸脱で違法」との判断を下し、「一部勝訴」を勝ち取った。

 「家永裁判」は、韓国や中国など近隣諸国の高い関心を引き起こし、「歴史教科書問題」に発展する下地となった。国際世論の高まりから、検定も緩やかになり、「慰安婦」や「強制連行」といった日本の戦争加害記述が登場するようになった。このような変化は、家永さんの不屈の闘いによるものだといっていい。

 いまなお「自虐史観」と主張し、歴史を歪曲しようとしている一部勢力があるが、その一方で正しい歴史を伝えようとする学者や市民グループが数多く誕生している。家永さんの遺志が未来に受け継がれていくことを願う。(G)