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2002/02/01

<鳳仙花>◆李煕健氏の光と影◆

 経営破たんした関西興銀の李煕健・前会長(84)の逮捕は、在日や日本社会に大きな衝撃を与えている。日本の一部マスコミは「落日 同胞の大統領」との大見出しを掲げ、李煕健氏の逮捕をセンセーショナルに報じた。韓国のマスコミも「在日韓国人のゴットファーザー逮捕」と報道し、関心の高さを示した。

 関西興銀を日本一の信用組合に育て、在日の中小企業の発展に貢献し、本国にも在日の資金で新韓銀行を設立するなど、韓日の経済発展に尽くし、両国の政財界に太いパイプを持っていた人物だけに、各方面への影響は大きい。

 李煕健氏は、在日社会では立志伝中の人物で、植民地時代に10代で渡日し、大阪・鶴橋のやみ市で自転車チューブの行商を始めたのが実業家としてのスタートといわれる。戦後のやみ市で進駐軍などとの交渉力を発揮してリーダー的存在となり、38歳の若さで大阪興銀(現・関西興銀)の理事長に就任、在日社会で頭角を現す。

 70年の大阪万博で韓国パビリオン建設に数十億円、88年のソウル五輪でも百億円を在日社会から寄付するのに尽力し、韓国政府からは国民勲章「無窮花章」も受章した。また、古代の日本と韓半島の交流を再現した「四天王寺ワッソ」を主催し、韓日の相互理解と友好増進に努めた功績に対する評価も高い。

 その半面、よくないうわさも多く、関西興銀の「ドン」として44年間もトップの地位にあって独裁を続け、融資も独断で行っていたといわれる。逮捕の引き金となったのは、自分が経営にかかわっていたゴルフ場運営会社「コマ開発」への過剰融資だった。別件も調査中のようで、進展が注目される。

 相次ぐ民族系信用組合の破たんで、在日を取り巻く経済環境は厳しさを増している。そうした中での李煕健氏の逮捕は、在日社会に大きな変革を迫るものといえよう。(A)