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2005/07/08

<鳳仙花>◆朝鮮人狩りから救った大川署長◆

 1923年に関東一帯を襲った関東大震災。当時、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」などのデマをきっかけに無実の約7000人の朝鮮人が虐殺された。そんな緊迫した状況下で、横浜市鶴見区鶴見警察署の大川常吉署長が、朝鮮人300人を警察署内にかくまって命を護ったことがあったが、これを裏付ける資料が最近、鶴見で見つかり話題となっている。

 当時、鶴見町議会議員で医者だった渡辺歌郎氏が第2次大戦前に書いた回顧録「感要漫録」が、渡辺氏の孫によって発見された。回顧録には、「朝鮮人団が略奪を繰り返し、抵抗すれば虐殺される」と町民が怯えている様子が記され、警察との交渉で町議団が、「朝鮮人が決起したら30人の署員で鎮圧できるのか」と詰め寄ると、大川署長は「その話は根も葉もないデマだ」と断言したという。

 これまでにも大川署長本人が群衆の前に立って、「朝鮮人を殺す前に、この私を殺せ。どこの国の人間であろうと人の生命に変わりはない」と叫んだという逸話が伝えられているが、これを裏付ける当時の記録が出てきたのは初めてで、これをきっかけに再評価が進むと期待したい。

 日本には、植民地時代に朝鮮人独立運動家の弁護を行った布施辰治弁護士や、「日本のシンドラー」といわれ6000人のユダヤ人にビザを発給し続けた杉原千畝・駐リトアニア共和国代理領事など、人間の尊厳を守り抜いた人格者がいたが、大川署長も悪事を退治したいと警察官になったほど正義感の強い人で、善良な人間の生命の重さを大切にした人だったといわれる。

 戦後、在日朝鮮人によって、大川署長の顕彰碑が鶴見の東漸寺に建立され、功績をたたえられており、また、助けられた朝鮮人の遺族が、大川署長の孫を韓国に招待し、感謝の念を伝えるなど、その志と美談は両国で今も受け継がれている。韓日友情年の今年、大川署長ら韓日の懸け橋となった人達にスポットを当てるイベントを企画してはどうだろうか。(O)