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2006/05/26

<鳳仙花>◆「アジアのシュバイツァー」の死◆

 世界保健機関(WHO)の事務局長・李鍾郁博士(イ・ジュンウク、61)が22日、スイス・ジュネーブの病院で脳出血のために死去した。世は無常というが、晴天の霹靂にことばもない。

 感染症の世界的権威として知られ、エイズや鳥インフルエンザ対策に精力的に取り組み、「ワクチンの皇帝」の異名をとっていた彼の死は、世界の医学界にとって大きな損失である。

 李博士はソウル出身で、ソウル大学医学部在学中から京畿道・安養のナサロ村でハンセン病患者の診療に当たり、その時出会った日本女性、鏑木玲子さんと結婚。卒業後は、夫婦で南太平洋のサモアに渡り、医療ボランティアに従事した。それがWHOの目にとまり、WHOハンセン病対策チームの責任者に抜てきされ、以後、WHOでワクチンの普及・改良に精力的に取り組んだ。03年から事務局長として手腕をふるい、今後が期待されていただけに残念だ。

 通常なら医学部を卒業すると、病院勤めや開業医の道を歩むが、李博士は「医療をうけられない貧しい人々を助けたい」と、奉仕に一生を捧げた。「アジアのシュバイツァー」と呼ばれるゆえんである。その原点は、子どものころ、韓国戦争を体験し、飢えや病気に苦しむ人々を目にしたことだという。

 あまり知られていないが、世界の小児まひの罹患率を人口1万人当たり1人以下に減らしたり、いち早く鳥インフルエンザの感染に警告を発し、被害が広がるのを食い止めたのも李博士の功績だ。また、ビル・ゲイツ氏ら著名人から資金支援を受け、アフリカなどでエイズ治療の普及にも取り組んだ。

 一人の人間の力には限りがあるが、一人の人間が動けば、世界は変わるということを李博士の生き様は教えてくれる。いま、若者の間には「自分さえよければよい」という風潮が見られるが、「人のために生きる」李博士の遺志を継ぐ韓日の若者の出現を待ちたい。合掌。(G)