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2007/05/11

<鳳仙花>◆朝鮮通信使伝えた故辛基秀(シン・ギス)氏◆

 韓日両国による「朝鮮通信使400年周記念行事」が4月、ソウルでスタート。今月19日には静岡で再現行列が行われ、その後、秋まで日本各地で記念行事が開かれる。この朝鮮通信使を考える時、忘れられないのが故辛基秀氏だ。

 辛基秀氏は京都出身の在日2世。大学院を中退後、民族団体でドキュメンタリー映画の制作に携わっていたが、「イデオロギー対立から離れ、自由な立場で活動したい」と組織を辞め、朝鮮朝の国王が徳川政権に国書を手渡すために派遣した使節団「朝鮮通信使」の研究を本格的に始める。

 「朝鮮と日本の善隣友好関係が260年も続いたことをきちんと伝えることで、日本の誤った朝鮮観を正す一助にしたい」

 これが辛さんを研究に駆り立てた思いだった。朝鮮通信使の存在が、一部の学者以外ほとんど知られていなかった1970年代、朝鮮通信使の史料や遺跡発掘のため、日本全国を歩き回った。その成果は、辛氏が79年に制作した記録映画『江戸時代の朝鮮通信使』となって結実した。

 いまでこそ有名な朝鮮通信使行列の華麗な絵巻物も、辛氏がこの映画を通して初めて世に知らせたといえる。また、日本と朝鮮の「善隣友好」の大切さを説いた対馬藩の役人、雨森芳洲の存在も、この映画で多くの人が知った。江戸時代にすばらしい交流の歴史があったことを伝えるものとして、この映画は現在も高い評価を得ている。

 辛氏はその後、84年に青丘文化ホール(大阪・天王寺)を開設。映像を通した韓日交流に貢献し続けてきた。86年には強制連行をテーマにした映画『解放の日まで-在日朝鮮人の足跡』を完成させている。多くの後進を育てながら、2002年10月5日、食道がんで71歳の人生を終えた。存命だったなら今回の400周年行事で更に両国交流のために活躍したことだろう。改めてその功績に思いを馳せたい。(L)