ここから本文です

2009/03/20

<鳳仙花>◆映画「白磁の人」の成功を◆

 日本植民地下の韓半島で、朝鮮朝時代の民芸、陶磁器などの保護と紹介に尽力した浅川巧(1891~1931年)の生涯が、『白磁の人』のタイトルで映画化される。未来志向の韓日関係の一助になる映画として期待したい。

 林業技手の浅川巧が、韓半島に渡ったのは1913年のこと。朝鮮総督府林業試験所に勤務し、禿山(はげやま)の緑化事業に取り組む一方、ソウルに朝鮮民族美術館を設立することに尽力した。一般には無名の浅川巧だが、作家の江宮隆之さんが浅川巧を題材にした小説「白磁の人」を94年に発表したことを契機に、長野県在住の在日から、映画化の話が出て、その輪が広がった。

 浅川の何が、それほど人の心を動かすのだろうか。朝鮮の焼き物を通して、朝鮮民芸の美に目覚めた浅川は、自ら希望して韓半島に渡った。そして、朝鮮の美を理解するには朝鮮の文化や言葉を知らなければいけないと考え、朝鮮語を学び、朝鮮の民族衣装を着用したという。生活に困窮した朝鮮人がいると救いの手を差し伸べることもしばしばで、朝鮮人と間違われて当時の日本の官憲から暴行を受けたこともあったが、それでも生き方を変えなかった。

 相手の文化を尊重し、そこに溶け込もうとした生き様、そして、「巧さんは朝鮮の人々にだけ温かかったわけでなく、日本人にも温かかった。それどころか器にも膳にも、山川草木のすべてに優しかった」と江宮さんが記すように博愛心に満ちた人柄、これらが韓日の狭間を生きる在日をはじめ、多くの日本人の心を揺さぶったといえる。

 植民地下の朝鮮で、「最も敬愛された日本人」と評された浅川は、肺炎のため40歳で早世した。葬儀には大勢の朝鮮人が集まり、棺をかつがせてほしいと訴えたという。映画のクライマックスはそのシーンになるという。浅川の人間愛がそこに凝縮されることだろう。映画は6月に撮影に入り、来年公開予定だ。成功を祈りたい。(L)