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2010/07/23

<鳳仙花>◆生誕100年 李箱(イ・サン)文学の世界◆

 「날자 날자/한번만 더 날자꾸나」(ナルジャ ナルジャ/ハンボンマン ト ナルジャクナ、飛ぼう 飛ぼう/もう一度飛んでみようじゃないか)

 李箱の短編小説「翼」の一節である。日本の植民地支配下で、モダニズム文学の旗手として話題を集めた。今年は彼の生誕100周年。その文学世界が現代に問いかけているものを考えてみよう。

 李箱(本名・金海卿/キム・ヘギョン)は1910年ソウルで生まれ、朝鮮総督府の建築技師として働きながら文壇デビュー。「翼」は満26歳で夭折する前年の36年に発表された。

 「ある日、正体なく町をさまよっていた私は三越の屋上にある私を発見する。歩みを止め、こう叫びたかった」の後に冒頭の「飛ぼう…」の表現となる。

 李箱は私生活、文学両面において既成概念を打ち破り、分裂した内面世界を探索した永遠のモダンボーイだった。近代知性人の矛盾した自意識を解剖、思想の領域を拡張したことで、韓国文学に大きな影響を与え続けている。

 先週、東京で開かれた李箱国際学術シンポで李箱研究の第一人者、金允植(キム・ユンシク)・ソウル大名誉教授は「李箱は未来の人、今の21世紀に生きている韓国最高の作家だ」と語った。また、韓国文学研究者の布袋敏博・早稲田大学教授は「李箱を考えるたびにピアニストのグレン・グールドを思い出す。その演奏は古びるどころか、ますます新鮮である。李箱についても同様のことがいえる」と評価した。

 「おい 誰か 灯をつけて呉(くれ)よ/手さぐりで ようやく此処まで来たんだ/こんなに真暗じや/もう駄目だ 恐ろしくつて足が出ないや/おい 誰か灯をつけて呉(くれ)よ」(『朝鮮と建築』巻頭言=日本語)

 李箱は運命のように植民地状況を生き、夭折した文学者だった。77年に日本の芥川賞に相当する李箱文学賞が制定され、これまで李清俊(イ・チョンジュン)、崔仁浩(チェ・インホ)、李文烈(イ・ムンヨル)ら韓国を代表する作家が受賞、優れた作家の発見に貢献している。韓国ではいくつも全集が発刊されているが、日本には編訳書に『李箱 作品集成』(作品社)があったが絶版状態だ。生誕100年を機会にぜひ日本でも光をあててほしい。(S)