ここから本文です

2012/04/20

<鳳仙花>◆韓国蔑視論を翻した李進熙氏◆

 在日一世の史学者・李進熙さんが15日、肺がんのため亡くなった。82歳だった。

 李さんは「広開土王陵碑の研究」や「江戸時代の朝鮮通信使」などの著作で知られる。その根底にあるのは、日本社会に根強く残っていた「韓国蔑視論」を是正し、在日社会が民族の誇りを持てるようにすると同時に、韓日友好の時代を築くことだった。「在日は自らのルーツと民族文化を知らないといけない。アイデンティティーを守るためにも、民族教育が重要だ」と熱く語り続けた姿が、いまも思い出される。

 5世紀の高句麗時代に建てられた広開土王碑の碑文を旧日本軍が改ざんしたと主張、古代日本が韓半島南部を支配したという「任那日本府」説に異議を唱え、韓日の学界に論争を巻き起こしたことも記憶に残る。その根底にあったのも「韓国蔑視論」を乗り越えなければとの信念だった。

 李さんは1929年、韓国慶尚南道で生まれた。48年に渡日し明治大学で考古学を専攻する。「為政者に都合よく書きかえられた歴史を、科学的に検証する考古学を通して正したい」というのが志望理由だったと当時を振り返っている。若き日、社会主義建設を信じていたが、北朝鮮の現実に失望して縁を切った。

 約400年前の外交使節団・朝鮮通信使の果たした役割を伝えたのも、李さんの功績の一つだった。90年、盧泰愚大統領(当時)が訪日時のスピーチで、朝鮮側と折衝した雨森芳洲の「誠意と信義の交際」を例にあげて韓日関係改善を訴えたが、その原稿作成には李さんの助言があったという。

 70年代半ばから在日と日本の文化人とともに「季刊三千里」と「季刊青丘」を21年間発行するなど、生涯を在日文化運動、韓日交流に捧げた。

 晩年、病床にあっても「日本が多民族・多文化共生社会となるため、在日が先頭に立たたなければ」と語っていた。純粋で頑固一徹の史学者だった。合掌。(L)