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2013/11/08

<鳳仙花>◆清渓川の聖者、野村基之牧師◆

 復元事業を経て、2005年にきれいに生まれ変わったソウルの清渓川だが、かつての清渓川沿いは「貧民街」と呼ばれて、貧しい労働者とその家族が暮らす一帯だった。

 1970年、工場労働者の待遇改善を求めて焼身自殺した全泰壱青年も、清渓川沿いの被服工場で働いていた。

 その貧民街を60年代末に初めて訪れ、人々の悲惨な生活に心を痛め救済活動を行ってきた日本人牧師、野村基之さん(82)が、ソウル市の名誉市民となった。遅すぎた受賞ではあるが、とてもうれしい出来事であり、今回の受賞が、韓日友好につながることを期待したい。

 野村さんの活動は、70年代初頭から韓国が経済発展する80年代半ばまで続けられた。やせ衰えた15歳の少女が、満足な治療も受けられないまま亡くなるのを見てショックを受け、東京の自宅を売却して、その資金で清渓川に託児所を建てた。

 野村さんの活動を支えたのは、キリスト者としての博愛精神と同時に、日本人としての戦争責任からだ。

 「日本の植民地支配がなかったら、1950年の韓国戦争も、清渓川の貧民街もなかったはずだ。日本は戦争責任を償わなければならない」と常々語っていた。

 「清渓川・貧民の聖者」と呼ばれた野村さんは、そこで生活する人々の姿も記録し続けた。06年、それらの写真や集めた資料約800点をソウル市に寄贈した。それらは1970年代の清渓川を知る貴重な資料で、今後の都市研究に生かされるという。

 野村さんは現在、山梨県の小さな教会で、質素な生活をしながら布教活動をしている。

 旧日本軍によって慰安婦にさせられた女性を描いた「平和の少女像」がソウルに建てられたと聞くと、昨年2月にソウルを訪れ、その像の前でフルートで「鳳仙花」を吹いて、被害者を鎮魂した。神の使命を果たした半生に、深く敬意を表したい。(L)