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2014/09/05

<鳳仙花>◆苦難の歴史克服した高麗人150周年◆

 今年は高麗人のロシア移住150周年だ。1863年、咸鏡道(ハムギョンド)の農民ら約60人が、豆満江(トゥマンガン)を渡りロシアに入った。彼らは当初「朝鮮人」、後に「高麗人」と呼ばれ、1864年に正式にロシア移住が認められた。この1864年を基準に今年を移住150周年と定め、ウラジオストク、中央アジア、そして韓国でも祝賀行事が開かれている。

 高麗人の歴史は飢えと迫害との戦いだった。日本の植民地時代には、独立運動に身を投じる者も多数いた。スターリン時代の1937年には、極東から中央アジアへ約17万人の強制移住が行われた。着の身着のままで追われ、餓死・凍死した高麗人も多数いた。想像を絶する苦しみだったことだろう。

 90年代初めにソ連が崩壊すると、高麗人もロシア、カザフスタンなどに分かれて暮らすことを余儀なくされた。混乱や紛争の中で国籍が失われ、いまだに無国籍状態の高麗人も多数いるという。一日も早い国籍回復を臨みたい。

 このように多くの苦難を経験した高麗人だが、一方でソ連邦の英雄となった軍人のアレクサンドル・ミンをはじめ、作家、音楽家、国会議員など多彩な人材を輩出してきた。ソチ冬季五輪男子フィギュア銅メダリスト、カザフのデニス・テン選手も高麗人だ。

 韓国留学や韓国で生活する高麗人も増えた。ソウル大病院国際医療センターのセルゲイ・キム准教授はウズベキスタン生まれの高麗人。ロシア語が堪能なので、ロシアやCIS(独立国家共同体)出身の患者が多く訪れるという。

 キム教授は、「高麗人への関心をもっと持ってほしい。相互に利益となるはず」と語る。統一を願ってモスクワから韓国への40日間の自動車ラリーに参加したロシア高麗人女性のカミーラ・パクさん(27)も、「将来はロシアと韓国の懸け橋になる仕事をしたい」と話している。韓国内のみならず在日社会でも、苦難を克服した高麗人150年の歴史に思いを馳せたい。(L)