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2009/09/11

<オピニオン>相互依存の韓日関係~済州道発展への在日済州出身の寄与~                                                 大東文化大学 永野 慎一郎 教授

  • 大東文化大学 永野 慎一郎 教授

    ながの・しんいちろう 1939年韓国生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。英シェフィールド大学博士課程修了。現在、大東文化大学経済学部教授、同大学大学院経済学研究科委員長。

 韓国・済州道と在日コリアン社会の結びつきは非常に深く、約15万人の済州道出身者が日本に居住している。その在日済州出身者による支援活動が済州道の開発や、みかん産業や観光開発など地域経済発展、教育レベルの向上などに大きく貢献した。愛郷心あふれる在日済州人たちの功績を、永野慎一郎・大東文化大学教授に寄稿していただいた。

 在日コリアン59万3489人(2007年末現在)のうち済州道(チェジュド)出身は16・1%の9万5247人。他に日本国籍取得者が約5万人と推定されるので、約15万人の済州道出身者が日本に居住している。15万人は済州道人口の約27%に該当する。済州道居住者で日本に親・姻戚、知人など因縁がない人はほとんどいないほど、何らかの結びつきがある。済州道と在日コリアン社会との関係は非常に密接であり、日本の影響を最も受けた地域である。

 済州道地域の総生産は1946年の23億ウォンから、2007年には8兆ウォンに急成長した。済州道の主要生産物の一つみかん生産量は、1946年の10㌧から2007年には75万㌧に急増した。その間の1人当たり所得は8万8000ウォンから1482万ウォンへと飛躍的に上昇した。米ドル換算で1万5800㌦(2007年)だ。済州道は世界の中進国並みの生活水準になった。経済水準向上の原動力となったのは、在日済州道出身による支援だ。

 済州道が把握している在外済州道民の寄贈実績をみると、2007年6月現在、教育事業186億ウォン、公共事業79億ウォン、文化事業7億ウォン、その他8億ウォン、合計281億ウォンの寄贈があった。1960年代から始まる在外同胞による寄贈は1990年代までは殆んど在日同胞であった。特に、教育事業への寄贈が目立っている。公的に把握されてない支援活動、すなわち家族や親族に渡した物資や現金も多いと見られている。

 60年代には教育事業への寄付が圧倒的に多い。教育用備品としてオルガン、ピアノ、時計、録音機、キャビネット、楽器などを出身地の小学校や中学校に贈る例が多かった。学校建築基金などもある。優秀な人材育成のために必要な学術専門書を済州大学や済州道庁に寄贈する例も多数見られる。また、村の道路整備、電気架設、上・下水道施設などにも寄付金を提供している。注目に値するのは、桜の苗木、みかんの苗木、アカシアの苗木などの大量寄贈である。特に、みかんの苗木の寄贈はみかん生産が済州道の主要生産物として済州道経済を牽引している現状を考えれば、先見の明があった。また、セマウル運動支援のために耕運機、噴霧器、トラクター、揚水機、脱穀機、農業用原動機などの農機具が、在日済州開発協会などの在日済州人団体によって贈られている。在日済州道出身による支援活動が済州道開発および地域経済発展に多大な貢献をしており、済州道の教育および産業インフラ整備過程において大いに役立っている。

 1984年、第13回全国少年体育大会が済州道で開催された時は、在日韓国人の募金運動が起こり、東京地域で約3億ウォン、大阪地域で約9億ウォン、その他の地域で約1億ウォン、計13億ウォンの寄付金が集まった。故郷・済州道で初めて開催される全国体育大会を成功させたいという愛郷心の現われである。2002年のワールドカップ競技が西帰浦市で開催された時も競技場建設基金として在日済州人たちは2億ウォンの募金を集めた。

 済州道の二大産業はみかん産業と観光産業である。在日済州人たちの寄贈によって始まったみかん産業は済州道の基幹産業として成長した。在日済州開発協会はみかん苗木を贈る運動を展開した。同時に、栽培技術の伝授および指導、現代式農機具の普及、新品種の開発にも尽力した。また、済州道からみかん農家の若手指導者を招き、日本の農家で先進農業技術を学ぶ研修プログラムを実施した。数百名の青年たちがこのプログラムに参加した。日本からみかん技術の専門家を招聘して済州道農家を巡回しながら技術指導もした。費用はすべて開発協会が負担した。

 在日済州人たちが真心込めて贈った「日本のみかん」の苗木が済州道の土で再生され、済州道自慢の果物ブランド「ジェジュカムキュル」(済州みかん)として結実した。「ジェジュカムキュル」は済州道を代表するヒット商品となり、済州道経済を牽引する原動力となった。みかん産業は済州道総生産額の20%、農業所得の70%を占めるようになった。91年の済州道みかん総生産額は4250億ウォンで、韓国の果実総生産額の35%を占める。済州道みかんは、りんごと共に韓国2大果物に数えられるほど主要生産物として成長した。みかんは在日済州人たちが故郷の生活環境を少しでも向上してもらおうと素朴な気持ちで送り始めた心を込めた「贈り物」であった。

 1970年代初め、済州道において「大学の木」「黄金の木」という造語があった。みかん栽培をすれば子女の大学進学ができるという意味で使用されたものだ。故郷の「貧困からの脱出」を願って在日済州人たちが寄贈したみかんの苗木が済州道で広く普及され、済州道経済の発展に多大な貢献をしたことの象徴的な表現である。

 済州道の二大産業の一つ観光産業。観光産業のインフラ整備をしたのは在日済州人たちであった。

 1962年に初めて故郷の済州道を訪問した在日済州開発協会の郷土訪問団は、済州道で盛大な歓迎を受けた。済州道から帰途、ソウルで朴正煕(パク・ジョンヒ)国家再建最高会議議長を表敬訪問した時、朴議長から済州道の豊富な観光資源を活用して観光開発したいという説明とともに、受け入れ態勢を整備したいという意見が述べられた。その時、陪席していた金栄寛(キム・ヨングァン)済州道知事は、済州道は観光地として恵まれた資源を持っているが、中央から来客があっても宿泊できる施設がないのが実情である。外国人観光客を受け入れるためには現代的な宿泊施設が必要である。在日僑胞の中でやってもらえませんかと要請した。即座に済州開発協会金坪珍(キム・ピョンジン)会長が「私が済州道に近代的なホテルを建設しましょう」と朴議長に進言した。

 金坪珍によって済州観光ホテル(現在のハニークラウン観光ホテル)が済州道最初の本格的な観光ホテルとして建設された。観光ホテル建設に当たっては韓国政府から補助金が予定されていたが、金坪珍は他の有益な事業への使用を希望して補助金を断わり、すべて自力で完成させた。客室33室のミニホテルではあったが、ショッピング・モール、コーヒーショップ、レストランなどを備えた当時としては最新式の洒落たホテルであった。済州観光ホテルの建設が済州道における観光事業の先駆的な役割を果たし、観光ブームの起爆剤となった。金坪珍は引き続き西帰浦(ソグィポ)観光ホテル、ハネムーン・ハウス(後のパラダイスホテル)などを建設して、済州島の観光開発に寄与した。ハネムーン・ハウスは、李承晩(イ・スンマン)初代大統領の冬の別荘として使用された建築物で、現在も李承晩の遺品が保存されている。金坪珍に続き、多くの在日済州人たちが済州道にホテルを建設して観光産業のインフラ整備に多大な貢献をしている。

 在日同胞の済州道訪問者も増加した。1961年に100人未満だった在日同胞の済州道訪問者が、62年には542人に増加。69年には済州・大阪間に直行便が開設。70年には4588名、72年には5821名に増加した。在日同胞の訪問者の急増に比例して、投資や寄付が増加した。

 1960年に済州道を訪問した観光客は6600名にすぎなかったが、2007年には543万名に急増しており、観光収入も2兆2144億ウォン(2007年度)で、済州道地域総生産額8兆696億ウォンの27%を占める。観光収入が済州道予算の84%に該当する。

 特に、在日済州人たちは故郷に対する想いが強い。生まれ故郷の生活改善を始め教育事業および育英事業に精を出す人も多い。貧困からの脱出のための手段として人材育成に力を入れている。学校建設などの教育環境を整備したり、奨学財団を設立し、または奨学基金を作って経済的に恵まれない優秀な学生たちに勉学の機会を与えるなど、教育事業に着手する在日済州人たちが競うように登場した。教育事業は成果が現われるまで時間がかかる。その成果が数10年経ってから現われ始めた。

 韓国教育科学技術部(日本の文部科学省に該当)が実施した2008年度学業成就度評価結果によれば、済州道の高校1年生の成績は全国1位であった。普通学力以上が最多の73・6%で、基礎学力未達は最小の4・4%であった。ソウル市は普通学力以上54・4%、基礎学力未達12・2%と対照的である。ソウル市の平均であって、江南(カンナム)区など富裕層が集中している地域はもちろん高い。中学校3年生の成績も済州道は普通学力以上65・9%で2番目に高い。済州道の教育がいかに高い水準にあるかがわかる。済州道の教育水準の向上の主要原因は、在日済州人たちの人材育成のための支援活動の成果であると見なければならない。

 済州道と在日済州道出身者とは、他の地域と異なる特殊な関係がある。日本居住者が済州道人口の40%を超える時期もあった。もう一つの特徴は、在日済州道出身は村(洞、里)単位の親睦会を結成している。婦人会や青年会などの組織も活動が活発であり、同郷人同士の親睦をはかるとともに、団体としてまたは個人として様々な形で故郷への支援活動を行っている。在日済州道出身の中で故郷の地域振興のために最も貢献したのは大阪在住の企業家・安在祜(アン・ジェホ)であった。生まれ故郷の西帰浦市表善(ピョソン)面の公共施設の建設、学校建設、村の電気架設および道路舗装などに多額の資金を提供しただけでなく、済州道立病院に医学書籍、済州大学に専門図書および備品、済州道庁に高性能高速艇などを寄贈するなど、安在祜の支援活動は済州道全域に渡って行われた。1973年、済州道は安在祜に「済州道公益賞」を授与した。


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