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2014/04/04

<オピニオン>韓国福祉国家を論じる 第2回 雇用保障政策の展開                                       東京経済大学経済学部 金 成垣 准教授

  • 東京経済大学経済学部 金 成垣 准教授

    キム・ソンウォン 1973年韓国生まれ。延世大学社会福祉学科卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。東京大学社会科学研究所助教などを経て現在、東京経済大学経済学部准教授。

◆新産業の育成、支援を◆

 一般的に福祉国家政策といえば、社会保障を想起することが多い。年金や医療また失業保険や公的扶助のように、加齢や病気、失業などによって生活困難に陥った人々に給付を行い、直接その最低生活を保障する政策である。しかしながら実は、その社会保障は福祉国家政策の主軸ではない。というのは、福祉国家が資本主義を基盤として生まれた以上、直接人々の生活を支援する政策は、最後の手段として出動するものであって、最初は、生活困難に陥った人々が働くことができるように支援する、あるいはそもそも生活困難に陥らないように安定的な雇用の場を提供する、いうならば雇用保障政策が講じられるはずである。しばしば福祉国家の核心政策として、社会保障政策以前に「完全雇用政策」がとりあげられるゆえんである。

 多くの先進諸国において、完全雇用政策と呼ばれる雇用保障政策が展開されるようになったのは、20世紀前半以降のことである。二回の世界大戦や戦間期の大恐慌また戦後直後などの経済社会的な混乱期に発生した大量失業・貧困問題がそのきっかけとなった。当初は、失業対策事業や公共事業などのような短期的で臨時的な政策が行われたが、そのような経験をふまえ、より積極的に中長期計画にもとづく経済成長政策とともに雇用の場を創出・拡大していくための政策として完全雇用政策が生まれた。

 ところで、韓国において、その完全雇用政策のような雇用保障政策が展開されるようになったのは、他の先進国に比べて非常に遅い。1960年代半ばから経済開発政策による高度成長がつづくなか、失業・貧困問題が深刻な社会問題として顕在化したことがなく、政府もそれらへの対応を積極的に行うことはなかった。しかし「IMF危機」と呼ばれた90年代末の経済危機によって、前例のない大量の失業者や貧困者が発生し、そこで政府も政策的対応をしなければならなくなった。

 IMF危機直後に打ち出された「総合失業対策」(98~2002年)がその出発点であったが、その後、「IMF早期卒業」がいわれた2000年代前半以降も、「中期雇用政策基本計画」(03年)、「雇用創出総合対策」(04年)、「国家雇用戦略」(06年)、「経済難局克服総合対策」(08年)、「2020国家雇用戦略」(10年)等々、各種の対策・戦略を次々と打ち出し、雇用の創出と拡大また安定をはかるさまざまな政策を推進するようになった。

 雇用保障政策は福祉国家各国に共通の政策であるが、以上のように展開されている韓国の政策の中身をみると、他の先進国と異なる重要な特徴を見出すことができる。そしてその特徴は、韓国が他の先進国に比べて遅れて雇用保障政策の整備に乗り出した、いわゆる後発国であるがゆえに生み出されたものといえる。

 20世紀前半以降、農業社会から工業社会への移行期にみられた先進諸国の雇用保障政策は、農業等の自営業や家族経営等の零細中小企業といった、従来の低生産性部門での雇用を保護しながら、高生産性部門への労働力への移動を促すことで新しい雇用の創出と拡大を図るものであった。いうまでもなく、当時の高生産性部門といえば、重化学工業を中心とした製造業であり、その分野を担う民間企業に対する各種の支援政策によって経済成長が実現でき、事実上の完全雇用が達成できていた。

 これに対して韓国はどうか。20世紀末21世紀初頭以降の、いうならば工業社会から脱工業社会への移行期の韓国にみられる雇用保障政策は、たしかに上記の先進諸国の経験とは異なる。すなわち、重化学工業を中心とした国内の製造業が衰退している状況のなかで、ITやハイテク産業分野への支援・育成が行われつつ、そこにおける雇用の創出と拡大が期待された。しかし現状からして、資本・技術集約的なITやハイテク産業分野は、経済成長には寄与するものの、雇用創出効果は非常に低い。そこでそれを補うべく、新しいサービス産業、なかでも保育・育児や教育、看病といった社会サービスの分野において、その主な担い手となる社会的企業のようなサードセクターを育成・支援するかたちで雇用の創出と拡大が図られている。最近、韓国のテレビや新聞などで社会的企業という言葉が頻繁に出ているのはそのためである。実際の政府の政策推進と財政投入の状況をみると、ITやハイテク産業分野における雇用創出よりは、その社会的企業を中心とした社会サービスの分野での雇用創出に重点がおかれているのが事実である。

 要約すると、20世紀前半以降の先進諸国にみられた雇用保障政策は、製造業分野における民間企業への支援政策を通じて雇用創出と拡大を図るものであったとすれば、20世紀末~21世紀初頭以降の韓国にみられた雇用保障政策は、社会サービス分野における社会的企業への支援政策を通じて雇用創出・拡大を図るものであるといえる。前者を「20世紀型完全雇用政策」と呼ぶならば、雇用保障政策を「21世紀型完全雇用政策」と呼ぶことができよう。

 現実の問題として1つ指摘したいのは、韓国にみられる「21世紀型完全雇用政策」がどれほど実効性をもつかということである。多くの先進諸国の経験からすれば、20世紀半ば以降、「20世紀型完全雇用政策」のなかで長期にわたる経済成長とともに完全雇用が達成でき、その帰結として「豊かな社会」が実現されていた。しかしながら最近の韓国の状況をみると、社会サービス分野を中心とした「21世紀型完全雇用政策」は、低賃金・短期間・未熟練の不安定な雇用を生み出すことが多く、そのため、政府の積極的な政策推進にもかかわらず、人々の生活は豊かになれず、むしろ全体として貧困層がますます広がっているような状況がみられる。もちろんだからといって、21世紀に入った今日、先進諸国が経験したような「20世紀型完全雇用政策」を復活させるのは難しいであろう。今後、韓国が「21世紀型完全雇用政策」の問題をいかに是正あるいは緩和していくかに注目してみたい。


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