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2014/05/02

<オピニオン>韓国福祉国家を論じる 第3回 社会保障政策の展開                                       東京経済大学経済学部 金 成垣 准教授

  • 東京経済大学経済学部 金 成垣 准教授

    キム・ソンウォン 1973年韓国生まれ。延世大学社会福祉学科卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。東京大学社会科学研究所助教などを経て現在、東京経済大学経済学部准教授。

◆制度体系の是非について議論を◆

 福祉国家政策の代表的なものとして、何より社会保障制度がとりあげられることが多い。年金や医療保険、失業保険また日本の生活保護のような公的扶助など、加齢や病気、失業などによって生活困難に陥った人々に給付を行い、その最低生活を保障する制度である。

 一般的に社会保障制度は、保険原理の制度、言い換えれば社会保険と、扶助原理の制度、言い換えれば公的扶助で全体の制度体系が構成される。前者が貢献(拠出)原則にもとづいて「防貧」の役割を果たすものであれば、後者は、必要原則に基づいて「救貧」の役割を果たすものである。ここで重要なのは、この両制度の結合によってはじめて社会保障が機能することになるということである。つまり、ある人が何らかの理由で貧困に陥った場合、まず社会保険の給付を受けるが、その受給期間が終わり、なお貧困状態にあると公的扶助の対象となる。この社会保障の基本仕組みを備えるためには、社会保険と公的扶助の結合が不可欠なのである。以上のような社会保障制度のうち公的扶助についての議論は次回に譲り、ここでは社会保険を中心に韓国の皆保険・皆年金体制の特徴と問題点そして今後の展望について考えてみたい。

 韓国では、1990年代末のIMF危機に発生した大量失業・貧困問題に対処するために、「第1次社会保障長期発展計画」をはじめ、社会保障とかかわるさまざまな制度・政策の改革が展開された。その際、これまで限定的に運営されていた社会保険に対する改革が急速に進み、皆保険・皆年金体制が整備され、国民すべてが医療保険や年金などの社会保険制度の対象となったのは歴史的に非常に大きな出来事であったといえる。

 ところで、その皆保険・皆年金体制の中身をみると、他の国と異なる特徴を見出すことができる。そもそも社会保険の源流といえば、ドイツに典型的にみられる労働者保険と北欧諸国に典型的にみられる地域保険がある。前者は、企業や職業をベースにした保険方式の制度であり、必ずしも全国民を強制的に加入させてはいない。

 これに対して後者は、地域をベースにした税方式の制度であり、それが発展したかたちで、国民保険や国民保健サービスなどのような全国統一的な制度によって全国民をカバーしているケースが多い。

 それぞれの制度導入の要因についての明確な分析は見当たらないが、制度成立期における産業・就業構造がそこに深くかかわっていることは否めないであろう。すなわち、制度成立期の20世紀前半に、工業化がはるかに進み多くの労働者が存在していたドイツでは、職域ごとの労働者保険を中心とした制度体系がつくられ、他方で、農業人口の多かった北欧諸国では労働者保険の導入が難しく、地域をベースにした地域保険あるいはそれが発展したかたちでの国民保険や国民保健サービスを中心とした制度体系がつくられたのである。

 これに対して韓国はどうか。制度体系からすると、年金に関しては国民年金、医療に関しては国民健康保険にみられるように、全国統一的な制度によって全国民をカバーするかたちをとっている。これはたしかにドイツにみられる職域ごとの労働者保険とは異なる。しかし国民保険においても国民健康保険においても保険方式が強く守られており、この点においては、税方式の北欧諸国の制度とも異なり、むしろ労働者保険の性格を強く有している。

 なぜこのようなかたちの社会保険が導入されたかというと、それは、他の国に比べて非常に遅れて20世紀末~21世紀初頭の脱工業化時代に社会保険の制度整備を進めた、いわゆる後発国としての状況が深くかかわっているといえる。何より、脱工業化時代に制度整備を進めた韓国では、ドイツのような職域ごとの労働者保険を安定的に運営できる産業・就業構造が崩れつつあったことが重要である。むしろサービス産業分野において「短期間・非熟練・低賃金労働」が生み出されるような不安定な雇用情勢のなかで、全国統一的な制度から皆保険・皆年金体制を構築することが合理的な選択であった。

 実際、医療保険に関していえば、導入当初(1977年)は労働者保険と地域保険とを別々に運営していたが、皆保険・皆年金体制を成立させる段階で、両制度を一元化する改革が断行された。医療より導入時期が遅かった年金(88年)においては、最初から単一の制度ですべての国民をカバーするという考え方から制度導入と拡大がすすめられ、やがてその単一制度による皆年金が実現された。

 ただし、経済成長が望めない時代的な状況のなかで、税収減の問題が懸念され、そこで税ではなく保険料を財源とする労働者保険の性格を有した制度運営をすることとなったのである。

 いずれにせよ、以上のようにして、他の国に比べて遅れて社会保険制度の整備に乗り出した韓国では、その後発国の状況に起因して、労働者保険とも異なるまた地域保険とも異なる、それらを一元化したかたちで、いうならば「労働者保険の性格の強い国民保険」を導入することとなったといえる。

 現実の問題として一つ指摘したいのは、非正規雇用に代表される「短期間・非熟練・低賃金労働」が増えつつある今日の状況のなかで、以上のようにして導入された「労働者保険の性格の強い国民保険」がどれほど実効性を持って機能できるかということである。実際、低い加入率や納付率による、いわゆる「社会保険の死角地帯」の問題が深刻にあらわれているのが現状である。

 特に年金制度における「無年金・低年金」問題は想像を超える。政府として、この問題を解決するために保険料納付に対する取り締まりを強化したり、保険料支援政策を行ったりしているが、その効果も大きく評価できるものではない。近年の社会経済状況を総合的に考慮すると、むしろ現行の保険方式をメインとした制度体系の是非についての議論を積極的に進めていくべきであると思われる。


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