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2015/03/27

<オピニオン>韓国経済講座 第172回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

◆積年の願いを今度こそは◆

 日本海横断航路はどうなっているのだろうか。2014年12月25日に大統領直属の国家建築政策委員会(金錫澈委員長)は統一準備委員会に図們江下降流域開発プロジェクトである多国籍都市開発計画を報告した。金委員長は世界的な建築家として有名で、多国籍都市開発プランはたびたび報道されてきたものだ。

 図們江地域開発は1991年3月、UNDP(国連開発計画)が第5次事業計画(92~96)の重点計画に盛り込まれて以来、周辺地域、国家の期待を担ってきた。その背景には、89年のマルタ会談による冷戦終焉、中ソ関係正常化、90年韓国の北方政策、韓ソ国交正常化、91年南北国連同時加盟、日朝国交正常化交渉開始、92年韓中国交正常化など、冷戦終焉を期に冷戦下に対峙凍結していた東北アジア地域の溶解が始まったことがある。

 こうした中で93年関係国は図們江地域開発計画を樹立して95年から公式に政府間機構として出帆した。実務協議を通じて共同体構成を推進しようとする努力にも拘らず 05年長春会議で広域図們江開発計画への転換は、事実上図們江開発計画の中断を意味した。つまり関係国が開発共同体として一枚岩となるにはまだ冷戦以前の体制上の障害があり、冷戦終焉とはいえ各国の利害が直に協調的に解消された訳ではなかったのである。

 したがって、2000年代は各国が個別にインフラ投資計画を進める状況が続いた。特に広く知られるように中国の国境が図們江河口12㌔手前であることが、海洋への航路を絶ち、中国の物流国際化の最大の障害となっていた。それでも中国は日本海へ通ずる港を確保するため図們江国際河川の利用を図るべく大型船入港のため浚渫工事の実施、中露朝の共同利用などを提案してきた。これとは別に陸路と他国の港を結ぶべく高速道路建設、鉄道建設など内陸インフラを整備しつつ港の借地交渉も行った。05年には北朝鮮との交渉で羅先国際物流合営会社を設立し、これを通じて羅津港現代化と羅津~琿春間道路建設を進めたが北朝鮮の核問題などで失敗した。ロシアも08年に近接のハサンを拠点に羅津に通ずる鉄道、羅津港の3埠頭現代化を進めたものの中断してしまった。このように2000年代は中朝露の開発事業努力にもかかわらず目立った成果に恵まれてなかった。


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