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2016/07/08

<オピニオン>韓国企業と日本企業 第42回 アジア・グローバル人材と北朝鮮に関する教養教育⑤                                                    多摩大学アクティブラーニング支援センター長 金 美徳 教授

  • 多摩大学アクティブラーニング支援センター長 金 美徳 教授

    キム・ミトク 多摩大学経営情報学部および同大学院ビジネススクール (MBA)教授。1962年兵庫県生まれ。早稲田大学院国際経営学修士・国際関係学博士課程修了。三井物産戦略研究所を経て現職。

◆社会主義国に対する深い理解が必要◆

 前号に引き続き北朝鮮を4つの経験知の観点から分析し、北朝鮮独特の論理を紹介する。経験知の1つ目は、前回述べた金日成総合大学経済学部と国家社会科学院での招聘講師「資本主義経済・経営」の経験談であったが、2つ目は現地で北朝鮮の学者やテクノクラートと議論したことである。日本の政治・経済や政治家・経営者について良く承知・把握していた。また、大変興味を持っており、質問も多く受けたが的を得ていた。ただ某テクノクラートが「人民は、野心がないから商売が下手だ」と批判していたが、これだけは違和感を感じた。なぜなら商売や経済が上手くいかない原因は、やはり社会・経済を対外開放していないことや教育制度など国の構造的問題が大きく、言い換えればテクノクラートや学者・教育者自身にも問題があるからである。

 経験知の3つ目は、1984年から2003年までの間に8回訪問・通算9カ月滞在して北朝鮮全土を見て回った体験である。体験談を4つ紹介する。①現地での移動や行動には、すべて運転手付きの高級車やガイド(幹部職員)の同伴があったため自ずと運動不足となった。また、5つ星ホテルの朝昼晩の豪華な食事(朝からローストビーフも出た)、時間を見つけては焼肉・ステーキ・寿司・料亭・中華料理などのグルメ三昧、カラオケ・カクテルバー・サウナなどの娯楽、政府や大学からの数多くの接待などの不摂生により、筆者の体は急激に太ってしまった。太った体で日本に帰国すると日本の専門家やメディアから、餓死者(95年~97年約300万人)が出ているのに「ひんしゅくもの」だと批判された。一方、翌年は、グルメ三昧が祟ったのか食べた寿司(おそらくカツオ)で食あたりになった。下痢が酷く、正露丸を1瓶全部飲んでも治らず、げっそりと痩せて日本に帰国した。今度は、逆に「北朝鮮では、やっぱり食べられなかったんだ」と批判された。

 これだけの事例で一概には言えないが、日本の北朝鮮観はこのような偏った見方をする傾向にある。客観的なメディアであれば、北朝鮮を50%肯定・理解し、50%批判・悲観すべきである。北朝鮮をただ感情的に批判・悲観するだけであれば、誰でもできるので専門家など必要ない。また、100%批判・悲観するだけの報道や情報では、北朝鮮の真意や真実がわからないし、北朝鮮のメディア戦略にまんまと嵌ってしまうこともある。これは、決して北朝鮮の肩を持つ訳でない。

 ②北朝鮮の地方都市も見て回ったが、車がほとんどなく、レストランもない。北部の咸鏡北道鏡城郡で車に乗って朱乙温泉に行き、風呂上りに付き添いの現地の人にカップヌードルをご馳走したところ高級レストランで食事するが如く嬉しそうに食べている姿が忘れられない。③首都の平壌市から北部に位置し北朝鮮初の経済特区である羅先特別市に寝台車で行ったことがある。所要時間は、19時間の予定であったが電力事情が悪く停電などにより5時間も遅れて到着した。寝て目覚めても車窓の景色が全く変わっていなかったので驚いたことをよく憶えている。また、復路は、寝台車で腕をダニに噛まれて腫れ上がった。そのため平壌市に到着後、平壌一の病院に行き、治療を受けたが、中々治らなかった。傷口の腫れは酷くなり、処方された飲み薬を飲んでも目まいがするばかりであった。しかし日本で皮膚科に行ったら直ぐに治った。また、元山市で松茸を食べて嘔吐が止まらなくなり、2日間入院したことがある。治療は、真っ暗闇の中でレントゲンを撮ったこととソーダビンのような容器に入っている点滴を投与されただけであった。手厚い治療を無償で受けておきながら申し上げ難いことであるが、医学のレベルは、相当遅れていると言わざるを得ない。④その他に気付いたことは、以下の通り。


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