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2016/08/26

<オピニオン>韓国経済講座 第188回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

  • 韓国経済講座 第188回

◆ソウル良いとこ…◆

 金浦空港から市内に入る途中、川をタクシーで渡るたびに橋の両側で窓を開けて銃を持った兵士にパスポートを提示して、身分を証明し通行許可を受け、市内に入るとそちこちに軍人が見回りをし、軍用車が多く通行していた。1976年に筆者が初めてソウルを訪れた情景だ。当時「漢江の奇跡」の下で台頭した中間層や学生による民主化運動に対し、朴正熙は民主化運動を抑えるため「北の脅威」のもとで「平和統一」を達成するには国民総和が必要であるとして、72年に戒厳令を布告し、国会を解散、政党・政治活動の停止、大学の封鎖を強行し、大統領を国民会議による間接選挙に改めるいわゆる維新体制下の厳しい警戒がその背景にあったためである。

 狭い路地を買い物の主婦と銃を持った軍人がすれ違い、その間を子供達が走り抜ける情景からすると高層ビルの間のペイブメントを多くのビジネスマン達がにこやかに雑談をしながら行き交う今のソウル市内とは隔絶の感がある。こうした華やかな市内で暮らす市民の今の生活実態はどうなっているのであろうか?

 掲げた表は、ソウル市の統計で人口推移(2010年調査)を見たものであるが、60年代以降の自然増加と社会増加により都市化が急速に進んだことが窺われる。60年には250万人に満たなかった市民が、10年後には2倍になり、20年後の80年にはほぼ4倍に達し、30年後の90年では約5倍の一千万を超える規模となった。ソウルの人口集中については、誰もが感覚的には感じていたものの、こうした統計数値で表すとソウルの急速な都市化の実態がいかに激しかったかが分かろう。社会増加が70年代に加速すると、住宅供給が間に合わず、狭い住居に寄り添って暮らすスラム化が進んだが、80年代に入り住宅投資を活発化させ、住居の高層化が進んだ。また、地下鉄2号線の建設や江南地域開発により居住地域の拡大が進み、グレーターソウル建設が社会増加に拍車をかけた。

 しかし、市民の増加は90年代を境に減少局面に入っている。公共機関や企業の市街化に伴って市外へ転居する住民が増えたことや地方都市での雇用創出力が高まったことがこの背景にある。90年の1060万人をピークに10年には979万人まで減少し、今後40年には916万人とピーク時に比べ90万人も減ると推計されている。

 市民の減少傾向の中で特に目立つのが外国人の増加である。この背景には、03年に制定された外国人労働者雇用法の効果がある。同法はこれまで5回にわたって改正されているが、第4次改正(07年1月公布)では外国籍同胞の雇用条件を緩和する方向で改正がなされ、主に中国東北地方からの中国朝鮮族労働者が急増する結果となった。

 外国人市民の増加とともにみられる特徴は市民の高齢化である。2000年から10年にかけて高齢化率が急速に増えており、これは全国的傾向に沿っており、ソウルでも高齢化問題が深刻になっている。

 もう一つの課題は世帯当たり人数の現象である。70年代までは4~5人家族が常態化していたが、市の発展とともに核家族が急増し10年では2・7人平均となっている。この点を別の資料で調べてみよう。


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