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2017/06/30

<オピニオン>韓国経済講座 第196回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

  • 韓国経済講座 第196回

◆アメニティーの実現はいつから?◆

 韓国の1990年代は、日本の70年代だ。文在寅新政権は脱原発を宣言し、今後はクリーンエネルギーを中心にするという。今日では国家政策に環境対策が中心的課題になるのは当然のことになっている。しかし、自然環境への配慮が政策マターになったのはそう昔のことではない。米国では60年代、日本では70年代、韓国では90年代である。

 工業化の進展とともに公害問題が出るのは先進国の経験則であるが、とりわけ大気汚染が問題になる。

 米国では、50年代から大気汚染物質が問題となり、酸性雨対策、オゾン層の保護を目的に自動車の排出ガスの削減や、二酸化硫黄排出量の削減、フロン、四塩化炭素の全廃を掲げ、63年12月に大気浄化法が制定された。そしてこれが70年の自動車の排気ガス量を10分の1に削減するという当時最も厳しいマスキー法案につながっている。

 日本では50年代から60年代にかけて大気汚染が進み、四日市ぜんそく、光化学スモッグなどへの産業公害対策が求められ、67年には公害対策基本法の成立、68年大気汚染防止法の成立、69年二酸化硫黄(別名・亜硫酸ガス)に係る環境基準の設定など矢継ぎ早の取り組みが行われ、70年に公害国会とまで言われた審議の末、翌71年に環境庁の発足にこぎつけた。

 韓国では60 年代後半から、環境問題に対する関心がメディアを中心に高まった。軍事政権の下では世論の主張は抑制されており、反体制メディアの主張が主であった。これに対し政府も硫黄酸化物に対する排出許容基準や排出施設設置許可制度を導入し、これまで実効性に乏しかった公害防止法を大幅に修正・強化した。急速な産業化・都市化による環境問題の深刻さは、企業活動の抑制につながるとはいえ公害規制に踏み切らざるを得なかった。

 77年12月には、これまでの公害防止法に代わる「環境保全法」を新たに制定・公布し、同法では、環境破壊または環境問題に対応するための環境影響評価制度、環境基準、産業廃棄物処理などを導入し、その対象に全般的な環境問題と予防的機能も含み対象範囲が大幅に拡大した。さらに、80 年に改正された憲法で環境権に関する規定が初めて設けられ、90年8月に設けられた「環境保全法」において「環境政策基本法」、「大気環境保全法」、「水質環境保全法」、「騒音・振動規制法」、「有害化学物質管理法」、「環境紛争調整法」の6つの法律に分法化することで、環境対策の強化を図った。

 ところで、経済成長と環境問題に関する理論化は環境経済学の分野で蓄積されてきた。その中でも徴用される考え方として環境クズネッツ曲線という仮説がある。これは、ノーベル賞経済学者であるサイモン・クズネッツの1人当たり国民所得が低いうちは所得格差は小さいが、所得の上昇(経済成長)とともに所得分配の不平等度(貧富の差)は高まる。しかし、さらに所得が増加するとある時期(転換点)に反転し、所得の上昇とともに不平等度は低下すると主張した。環境経済学でも、環境と経済についても同様の関係が存在することを論証したのが環境クズネッツ仮説である。すなわち、経済成長の初期の段階には環境汚染も少ないが、経済成長とともに環境は劣化していく。しかし、ある所得水準(転換点)を超えると所得向上は環境の改善を伴うようになるとする仮説である(図参照)。

 日本も韓国も所得水準の差はあるものの図の「緑のステージ」にある。汚染のステージでは物量的満足感は満たすが、人は物質的に豊かになると、生活の質の向上(アメニティー)を求めるようになり、


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