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2000/09/22

<在日社会>故郷に家族の墓建てたい

故郷に家族の墓建てたい

 盧さんは1927年、韓国慶尚南道昌寧郡に生まれた。祖父は日本植民地支配に抗して戦った独立運動家。父の盧在原さんも若いときから独立運動にまい進したが、日本官憲に逮捕されテグ刑務所に5年間投獄された。実家は裕福な造り酒屋だったが、財産をすべて没収され、家族は辛酸をなめて育った。

 「父は進歩的民族主義者だった。解放後も李承晩政権に反対してテグ人民抗争に参加したため、捕らえられて激しい拷問を受けた。その治療のために日本に密航。私も父の見舞いで日本に渡った」
 故郷で学校の先生をしていた盧さんは、民族学校の先生をしながら父のめんどうを見る。48年の阪神教育闘争では、日本の警察に逮捕される経験もした。
 その後、韓国戦争が激しくなり、李承晩政権が続くのを見て帰国をあきらめた父子は、日本での生活を余儀なくされた。民族団体が民団と総連に分裂したとき、盧さんは総連で民族学校の教師を続ける道を選んだ。
 「私は民族教育に情熱を傾けていた。当時、民族教育をしっかり行っていたのは総連だった。それで総連を選んだ」
 韓国への帰国をあきらめた父は61年、北朝鮮に渡り、67年に平壌で亡くなった。62歳だった。
 反体制活動家の父と総連活動家の息子がいることを知られないよう、韓国の母と弟はひっそりと暮らさざるを得なかった。盧さんも連絡をあきらめた。

 韓国にいる時に生まれた長男は、18歳になったときに日本に呼び寄せ、直後に北朝鮮に送った。北で大学を卒業した息子は現在、技術者として働いている。また日本で生まれた次男は、盧さんの跡を次ぐように朝鮮学校で教職の道を選んだ。

 韓国に残した母と連絡を取ったのは3年前。解放50周年を迎えた95年、当時の金泳三大統領から父に対し建国功労勲章が送られ、周囲の視線が変わったことを聞いたからである。「オモニ(母さん)」と叫び、涙ながらに母の声を聞き、再会の日を誓った。

 今年6月、南北頂上会談で両首脳が握手するのを見て、「南北離散家族の再会が合意されたが、私たちも離散家族ではないか。日本の植民地時代でさえ、自分の故郷には自由に行けたのに」との思いが強くなった。川崎高麗長寿会の仲間と相談し、連盟で総連に故郷訪問の陳情書を書いた。それを受けて総連から北に要望書が送られ、今回の訪問合意となった。
 「家族との再会を果たせず死んでいった仲間たちのことを思うと、胸が詰まる。余りにも時間がかかりすぎた」と語ったうえで、「祖父は40年前に亡くなったとき、今はバラバラの家族が一つになったとき墓を作ってほしいと訴えた。祖父の遺骨は故郷の山に仮埋葬されている。祖父の遺骨と北で亡くなった父の遺骨。いつの日か、それらを一つにして一族の墓碑を建てたい」と強調する。

 家族との再会のほかに、韓国での教師時代、遠足で生徒たちを連れていった慶州を再訪することも楽しみにしている。