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2001/09/07

<在日社会>徐辰奎さんの成功物語「絶対に偉くなる」を実践

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            韓国で出版された自伝

 かつら工場の女工から米陸軍少佐にのぼりつめ、現在はハーバード大学の博士号をめざして勉学中の韓国人女性、徐辰奎さん(米国名=ジンギュ・ロバートソン、52)。貧しい家庭に生まれた逆境をはねのけ成功を勝ち取るまでの足取りを描いた自伝「私は希望の証(あかし)になりたい」の日本語版が出版の運びとなった。原著は2年前に韓国で出版され25万部を売るベストセラーになり、KBSテレビ、MBCテレビの特集番組で取り上げられるなど、一躍「時の人」になった。どんなサクセスストーリーで、どんなメッセージが込められた自伝なのか。日本滞在中の徐さんに聞いた。


――自伝を書いてみようと思った動機は。

 本の中にも書いてあるが、困ったときや辛いときは自分を励ます必要がある。私のように貧しい家に生まれ、差別され夢も希望もなく生きている人たちに、一生懸命努力すれば、どんな差別も克服できるという証拠を示し、「あなたたちもできますよ。悪条件、差別に負けないで立ち上がって下さい」というメッセージを伝えたかった。
 貧しい人たちだけでなく、さまざまな困難に直面している人たちにも読んでもらいたい。


――本の中で、心の中にいる2人の徐さんが対話する場面が頻繁に出てくるが。

 自分自身と対話してほしい。私は選択を迫られた時、どっちを選ぶべきかでいつも格闘してきた。良い自分と悪い自分が対話して、良い自分が負けた後の気持ちはとても辛い。でも次に選択を迫られたときに、その気持ちを覚えていて、「少し我慢すれば幸せになれる」ことが分かる。私は決して「鉄の女」ではない。「人並みに楽をしたい」という思いを心の中の対話で克服してきた結果だと思っている。


――日本語版出版に際してのメッセージを。

 この本は人間の生き方の話なので、どの国でも通用し、誰にでも役立つのではないか。もし高いところから始めたのなら、達成感や満足感は得られないかも知れないが、下から這い上がってきたのだから、頑張った、えらいぞと自慢できる。日本でも女性や貧しい人、学歴のない人、それに在日韓国人は差別されているが、決してギブアップしてほしくない。


――上昇志向をとても強く感じる。何が徐さんを支えたのか。

 自らを分析したことはないが、小さいころから反抗心がすごく強かった。男尊女卑のせいで、私に対する母の差別を小学校5年のときに感じてから反抗心を抱き始め、差別することが間違っていることを証明するためには私が偉くならなくてはいけないと考えた。偉くなる方法は勉強しかないと思い、そのときから一生懸命に勉強した。
 当時のことを思い出して、大学などの講演では「素敵な反抗児になりなさい」というタイトルで話しているが、かつてのかつら工場の女工が世界最高峰のハーバード大学で博士号を取得できるということを証明したい。


――米陸軍で得たものは。

 叔父さんが軍人で親戚の中で一番偉く尊敬される人で、子供のときから彼のようになりたいという気持ちがあった。米国で結婚したが、喧嘩が絶えない夫と離婚できない自分が嫌になり、主人から強制的に離れられる場所として軍隊を選んだ。
 10歳以上年下の同僚との訓練は大変だったが、「偉い人になるんだ」と言い聞かせた。精神力や動機付けがあれば困難に立ち向かえるという真理を運良く自分で発見することができた。
 軍隊では、「やればできる」ことを学んだ。走ることもできなかった私が、男性と一緒の訓練でも小隊のトップだった。「絶対偉くなる」という目標があったから頑張れたのだと思う。目標を持つことはとても大事であると強調したい。


――振り返ってみてどんな人生だったのか。

 いま私は自由で、やりたいことができる。講演も1回1000ドルで依頼がたくさん来るし、軍経験が20年あるので米国政府で働くこともできる。韓国語、日本語、英語ができるので選択肢はいろいろある。
 毎日ファンレターが届くが、一番若かったのは小学校5年生の少女で、「1回だけの人生、なんとかやってみる勇気が湧いてきました」と書いてあった。64歳の男性は、「もし若いころに出会っていたら自分の人生は変わっていた。でも何歳まで生きられるかは分からないが、死ぬときに64歳から今までは良い生活をやってきたと話せるから運が良かった」と書いていた。これが成功でなければ何が成功ですか。


――全米250万人の高校生から選ばれた141人の1人としてクリントン大統領から優秀賞を授与された娘さんにどんな教育を。

 韓国で出した2冊目の本で娘の教育について書いた。娘は昨年ハーバード大を卒業後、現在は韓国陸軍で少尉として勤務している。娘を育てるときには貧乏でなかったが、娘にお金の価値、人生の価値、辛さの価値、そして何かを達成したときの幸せを教えるため、11歳から私の軍靴を磨かせて育てた。辛い人生を送っている人々の事情、辛いときの気持ちを教えるためいろいろのことをやった。それで娘は他の人を配慮する人間になったと思う。


――韓国、米国、日本で生活してみて違いは。
 一つの国だけで生きていくのが難しい時代だ。国際化の時代なので協力しなくてはならない。結婚だってお互いに譲り合って努力して幸せな家庭を築くのが大事だが、国際関係は結婚よりも難しい。言葉が通じなくて文化を理解できなくて、失敗することが多い。
 本当に一緒に協力する気持ちでやるなら、言葉、文化を勉強し、お互いを理解していかなくてはならない。


――在日同胞にメッセージを。

 人間は生まれを選択できない。在日韓国人として生まれたことも自分の選択ではない。でも、それに対して不満を持つよりはその立場を研究して、自分の希望を実現する方法は何かを調べて、夢に向かって一生懸命努力すれば道は開かれる。人生はみな1回限りであり、その人生をどう生きるかは自分が決めなければならない。
 せっかく日本で生きる機会を与えられたのであるから、チャレンジしてほしい。失敗も成功の勉強になることは私自身が証明している。


――これからの夢は。

 私は欲張りでやりたいことがたくさんある。教授にもなれるし、国際的なビジネスもできるし、講演もできる。死ぬまで世界中を講演で回ることもできるが、何をするかまだ決めていない。幸せなことはまだ決めなくても良いという。まずは博士論文を書いてその後に考えたい。