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2006/04/21

<在日社会>阪神教育闘争58周年・民族教育守った記念碑を

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    48年、神戸大久保刑務所に収監され、釈放直後に亡くなった朴柱範さん

 1948年4月、朝鮮人学校平閉鎖令に反対して闘った阪神教育闘争から今年で58周年を迎える。2年後の60周年に向けて民族教育を守りぬいた記念碑を設立しようと、23日に在日と日本人有志による実行委員が発足する。

 「4・24阪神教育闘争記念碑を建てる会」は、家正治・姫路獨協大学教授を代表に、孫敏男・兵庫在日外国人人権協会代表、徐根植・兵庫朝鮮関係研究会代表、高龍秀・甲南大学教授ら在日の学者、歴史研究者、日本側から飛田雄一・神戸学生青年センター館長、馬場功・神戸女子大学教授、水野雄二・神戸YMCA総主事などの学者、宗教家ら22人の賛同者、それに兵庫朝鮮研究会会員の金慶海氏ら6人が事務局を務め、合計28人で発足する。

 阪神教育闘争は、1948年にGHQ(日本占領連合国軍総司令部)の指令の下、日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、民族教育を守ろうと起こった戦い。神戸市では朝鮮人と県・市側の交渉の末、4月24日に撤回された。

 記念碑はその闘争の中心地となった長田区の西神戸朝鮮学校跡を第1希望にしているが、同校は事件当時、日本の学校内に設置されており、現在も日本の学校が建っているため、別の候補地を探している。事件と関わり深い地を数件検討中で、近日中に最終候補地を決めたいとしている。建設費は数百万円を見込んでおり、募金活動で集める計画だ。会の発足後、建てる会入会と建設費募金を広く呼びかけていく。

 碑の内容は、闘争の犠牲者を偲ぶと共に、民族教育を守った誇り、そして在日コリアンと日本人有志で闘ったことを記念し、日本人と在日、日本と韓半島との友好の願いを表現したものとなる予定だ。

 阪神教育闘争では、4月26日に大阪で金太一少年が警官隊の発砲で死去。また当時の朝連兵庫県本部委員長だった朴柱範さんが軍事法廷で有罪判決を受け、神戸刑務所に服役。朴さんは49年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが、そのわずか4時間後に亡くなり、事実上の「獄死」を遂げている。8年前の50周年には記念行事として、韓国内に住む朴さんの遺族を日本に招く行事も行われている。

◆各地の民族学校設立の契機に 金慶海さんの話◆

 「事件当時小学校4年生だったが、兵庫県庁の周りを囲んだ在日の人たちが『勝った!勝った!』と叫んでいたのを、いまもよく覚えている。この闘争に勝利したことが、その後の日本各地における民族学校設立につながっている。在日にとっては民族教育を守り通した大切な記念日だ。これまで強制連行犠牲者の慰霊碑は各地に建てられたのに、阪神教育闘争の記念碑がなかったことは残念に思っていた。記念碑の設立が多民族共生教育の発展につながればと思う。多くの在日、日本人の協力を呼びかけたい」


◆阪神教育闘争◆

 1948年1月24日、文部省通達〈朝鮮人設立学校取扱について〉による朝鮮人学校の閉鎖・弾圧に対する大阪、神戸を中心とした在日朝鮮人の民族教育をまもる闘い。朝鮮人学校は47年10月現在、578校、生徒6万余人に達し、体系的な民族教育を実施していた。

 しかしGHQ民間情報局長の指示によったこの通達で朝鮮人学校は全面的に日本の学校教育法、教育基本法に従うことを強いられ、朝鮮人学校がそれに応じないとして48年4月、全面的に学校閉鎖令が指示された。神戸、大阪では4月23日から26日にかけて民族教育を守ろうとする朝鮮人父兄の抗議闘争に対し、武装警官の実力行使による大弾圧があった。神戸ではいったん閉鎖令が撤回されたが、GHQの非常事態宣言で取り消され、大阪と合わせて日本人若干名を含め3000人以上が逮捕され、うち178人が起訴され、軍事裁判によって重刑をうけた。

 ※朝鮮を知る事典(平凡社)より。