ここから本文です

2007/01/01

<在日社会>キム・ヨンジャさん特別インタビュー・ファンと歩んだ20年

  • zainichi_070101.jpg

    キム・ヨンジャ 1959年韓国全羅南道光州市生まれ。光州市スピア女子校卒業。趣味は香水収拾、映画・舞台鑑賞など。

 デビュー20周年。浮き沈みの激しい日本の歌謡界の第1線で、これだけ息の長い活動を展開している外国人歌手は稀である。全身で歌い切るエネルギッシュなステージをみて虜になったファンも多い。ヨンジャさんはまた、ボランティア活動にも熱心であり、「ファンとともにある」ことを強く印象づけている。20周年にかける抱負などを聞いた。

 ――デビュー20周年を迎えて、いまの気持ちをお聞かせ下さい。

 韓国時代を含めて、歌手としては34年間歌っていますが、20周年ということでとてもワクワクします。初めて成人式を迎えたような気分です。

 実は人生で一番人格が形成される18歳からの3年間、日本で生活してことがあります。そのせいか、当時は韓国に帰ると、自分が浮いた存在に感じることがありました。恐らく自分でも知らないうちに日本的な習慣が身に付いていたのでしょう。日本は大好きで、生涯日本で歌い続けたいと思っています。

 ――20周年を迎えるにあたっての抱負は。

 毎年その時々に最善を尽くしているので、特別な抱負はありませんが、20周年を迎えられたので、とりあえず次は25周年に向けて頑張りたいと思います。

 20周年を記念して、北は北海道から日本全国を回るツアーを計画しています。本格的に実施するのは来年からで、すでに50カ所で決まっています。

 ――日本の歌謡界で20年間トップの座を維持できた秘訣は。

 例えば、日本では誰でも知っている「赤とんぼ」という歌ひとつをとっても、私は知らなかったので、常に学ぶ姿勢でいなければなりませんでした。それと、やっぱり韓国人歌手であり、日本の歌手の方とは歌い方が違うという特徴があったので、皆さんから支持して頂けたのだと思います。

 私の場合は、桂銀淑さんのようにまだミリオンセラーに近いヒットも出していませんし、頂点を極めていません。今は、なかなかCDが売れない時代ですが、私も名曲と言われるような1曲を残したいです。そのためにも常に初心を忘れず、ベストを尽くすようにしています。韓国にいた時は自分の国なので甘えることもあったかもしれません。でも日本では「韓国人キム・ヨンジャ」として決して手を抜くことはありません。

 ――サハリン同胞支援、島原被災者支援、阪神大震災被災者支援、受刑者支援などボランティア活動に熱心ですが、その原点は何ですか。

 皆さんの力で歌わせていただいているので、皆さんが困った時には、少しでも歌で元気を出してもらって、何かお手伝いできればと思ってやっているだけです。私は歌手なので歌であれば、いくらでも貢献できると思って始めました。

 今度もまた、刑務所公演がありますが、受刑者の方が社会復帰された時、コンサート会場の片隅から私を応援してくださったり、ホームページにメッセージを寄せてくださったりします。震災に遭われた神戸の方々も、いまだに私を感謝の気持ちで迎えてくださったり、非常に高く評価して下さいます。そういう皆さんの気持ちが逆に私の励みになり、次のチャリティーでも頑張って歌おうという気持ちにつながっていると思います。

 ――最近の韓流ブームをどう見ていますか。

 かつてはコンサートの時にチマ・チョゴリを着て、「韓国は活気があって、明るい国ですよ」と言うのが口癖でしたが、今では逆にファンの方のほうが韓国に詳しくて本当に時代が変わったことを実感しています。

 ――岡宏&クリアトーンズとの共演についてはどう思いますか。

 本当に家族的な存在です。クリアトーンズとならリハーサルの時間もかかりませんし、意思疎通もスムーズなので、いろいろと要求できるので安心です。たまに他の方々とも共演しますが、やっぱり気も使いますし、わがままもあまり言えませんね。

 ――歌謡曲からジャズまで幅広いジャンルを歌いますが、一番好きな分野は何ですか。

 韓国では演歌歌手なので、演歌以外では歌っていませんでしたが、日本に来て美空ひばりさんがジャズを歌う姿を見て勇気をもらい、私も歌手なのだから表現できると思って挑戦してみました。私もひばりさんのように楽譜は読めませんが、絶対音感を持っているのだと思います。

 一番好きなジャンルは、初めは演歌でしたが、今はバラードとかが好きです。演歌でも八代亜紀さんのような、あまりこぶしの入らない曲が好きです。なので「暗夜航路」をプロデュースしてくださった都はるみさんが歌うようなこぶしの効いた演歌は本当に難しいです。日本に来てからは本当に音楽を聴く時間がなくて、与えられた曲をこなすので精一杯ですね。

 ――レパートリーは何千曲あるのですか。

 数えたことはありませんが、1回聴けば10年後にメロディーさえ流れればすぐに歌えちゃうと思います。小学校4年生の時から音楽教室に通っていますが、今まで譜面を見ながら歌ったことはありません。自分でも勉強もせずによくここまでやってこられたなと思います。どんな曲でも歌いながら感でリズムをとることができるようです。その代わり、1曲を歌うためにテープで何度も繰り返し聴いて、どんな曲かを完璧に知り尽くすようにはしています。

 ――今後の目標は。

 ここまで来たら日本に歌手として骨を埋めたいです。歌手としての目標は、やはり美空ひばりさんです。歌の表現力が完璧で、視線一つにしてもまったく違います。ひばりさんのように、まったく同じにはなれませんが、少しでも近づければいいなと思っています。

 ――日本と在日のファンにメッセージを。

 20周年を迎えられたのは、すべて皆さまのおかげです。あっという間の20年でしたが、今後も皆さまのご期待にお応えできるように、韓国人としての誇りを持ちながら、日本の社会に貢献できればと思います。常に歌で韓日の懸け橋になれたらと思っています。今度もし生まれ変わっても日本人にはなれません。韓国人としていかに日本の歌謡界で自分の役割を果たすかが大切だと思います。