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2007/10/12

<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて⑤                                               ― 韓日政財界に人脈築き両国の懸け橋として活躍 金 徳吉(金田直己)さん

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    キム・ドギル(日本名・金田直己) 1946年大阪生まれ。ソウル大学留学(工学部中退)、同志社大学法学部中退。1966年父が他界して事業を継承。エイアイエス株式会社を設立、会長に就任。2007年小池一夫劇画村塾株式会社を設立、社長就任。日韓経済協会などで20年以上活動する。東西大学等の客員教授を務め講演多数。関西経済同友会会員。関西経済連合会会員。

 事業の傍ら、韓日政財界に多様な人脈を生かし、両国間の懸け橋の役割を果たしてきた金徳吉(日本名・金田直己)さん。韓日政財界とのネットワークは40年に及び、韓日両国の経済人と官界に広く先輩・知人・友人を築く中で韓日と中国に自らの活動の場をつくりワシントンにも多くの友人を形成してきた。在日経済人と森喜朗元首相を囲む「もりそば会」の事務局も担っている。

 「80年代半ばに日韓経済協力委員会のメンバーになった。当時は福田赳夫・元首相が会長で、瀬島龍三・伊藤忠顧問(共に故人)もいた。韓国側は故申ヒョンファク元総理、李承潤・元副総理だった。日韓の古いチャンネルで、在日として30代初めの私がぽっこり入っていた。この時初めて日韓の走り使いと橋渡しが自分の責務と感じた。

 その後、日韓経済協会に入り、88年に日韓懇話会を組織した。当時の韓国財閥2世を集めて日本式経営を学ばせ両国の共通懸案を討議するため、私と糠沢和夫さんが共同議長を務め経団連ゲストハウスなどで毎年、『これからのブロック経済の時代にどう対応すべきか』『韓国の内需をどう掘り起こすのか』と真剣に議論した。91年から日韓青年フォーラムを組織、20代後半から30代の青年各100人が参加して、さまざまなことを議論し交流を深め現在も続いている。韓国にこのメンバーがつくった『ツラ会』というのがある。これらは私の人生の宝だ」

 「89年に関西経済同友会に入り、99年からは毎年、韓国の安全保障問題と経済協力を調査する訪韓団を組織、全国経済人連合会、外交安保研究院、国防研究院などを訪れている。毎年訪韓レポートを出し、情報の共有を政府機関や他地域同友会と図っている。韓国の安保状況を正しく知って貰い、韓国への投資や合弁を推進する障害になっているカントリーリスクについて可能な情報を公開するためだ」

 金徳吉さんは、典型的な在日2世で、いまの40代から60代の世代と多くの共通項をもっている。

 「生まれ育った環境とわずか1年間だが韓国留学が私に民族の血を注ぎ込んだと思う。3歳まで育ったところは大阪東部の朝鮮部落で、狭い空間に在日一世が抱き合う様に暮らしていた。同胞同士、頼母子講をやりながら助け合って暮らしていたイメージが脳裏に刷り込まれた。私の原点はその朝鮮部落であり、親近感があった。その点、そこで生まれなかった妹、弟とは全く感性が違う」

 「高校の時は、マルクス・エンゲルス選集を読み、特に毛沢東の『矛盾論』にはいまでも影響を受けている。『物事には矛盾があって、その矛盾に早く気づき、これを克服する道をつくった人間が生き残る』という単純な理論だが、これには日本の財界人でも影響を受けている人が少なくない」

 「それまで民族の歴史はあまり知らなかったが、旗田魏先生の朝鮮史を読んで覚醒された。高校生の夏に本国研修に行き、みんなで国立墓地を参拝、私は慶尚南道・蔚山の故郷に初めて行った。全く韓国語を知らなかったのに高揚感が沸き起こり国交前の祖国留学を決意した。パンチョッパリ(半日本人)のままで社会に出ることはできないと言い張り、ソウル大英文科に仮入学させてもらった。当時は日韓会談反対デモが激しく騒然としていた時代だったが、その時築いた友人がいまでも財産であり、その後に母国を行き来するきっかけとなった」

 不動産開発、建設、製造業などさまざまな事業を展開したが、挫折も味わう。再起を期して10年ほど前からIT(情報技術)ネットワーク事業に乗り出した。

 「50歳の時に今までの事業からの再チャレンジを考え新規業種を探した。ネットワーク(インターネット)に可能性があると教えられ、米国国防省で2000年問題の責任者レイモンド博士から、ネットワーク社会と産業について教えを受けた。これが始まりだった。『日韓海底光ケーブル敷設』などを手掛けると同時に、6年前に韓国の情報通信部と日本の総務省、経済産業省の協力を得て『KIN―JAPAN』を結成し会長として、日韓の情報交換の場とした。日本企業が韓国のITに接近する動機を作り経済効果があったと思っている。海外戦略は現地にいる人をいかに活用するかだが、韓国政府は在日の人的・知的資産をもっと有効活用すべきではないか」

 エイアイエス株式会社ほか5社を経営する。ビジネスと韓日交流事業との関係について聞いた。

 「率直に言って、ビジネスには繋がらない。しかし、人間には生きる上での哲学とミッションが求められる。いまは東アジアの平和構築と人的交流を行なう走り使いが何より優先している。私にとって、在日組織や社会に寄与する度合いが少ないと自覚しているが、組織ではなく個人として自分を活かすことでこれからも幅広く動きたい」

 在日社会の課題として海外同胞のネットワークづくりを提唱する。

 「韓国人のオーバーシー(海を越えた)ネットワークは大きな資産として認識している。 情報と人間が歴史上ない規模で動いている実感が在外同胞をみて判る。例えば、最近講演で訪れた延吉市は人口当たりタクシー数が中国1の大消費都市だが、朝鮮族の役割が大きい。韓国からモノを仕入れて、延吉が物流センターになって朝鮮族が中国全土に飛び出てリテールショップ(小口販売)をやって成功している。

 米国には250万人を超える韓国人がいて、高い教育と秀逸なビジネス能力を認知されている。カザフスタンをはじめとし中央アジアにも成功した高麗人が多く輩出している。カナダにもメキシコ、欧州にも同胞は少なくない。特にサハリンは植民地時代には日本だったので、我々と同じ在日同胞だ。サハリンで延吉の人がキムチを売っているのを見たが、瞬時にネットワークが繋がる時代だ。在日はもっと目を広げて活動の範囲を広げてみれば、培ったノウハウと資本の活用を通じて新しい活路を見いだせるのではないか」

 「在日こそ海外韓国人では最も古い歴史をもっている。在日が中心になって、海外コリアンセンターをつくろうと訴えたい。センターとしての機能をソウルではなく、日本に置く。海外同胞のネットワークを生かして様々な活動を通じて在日の将来にも大きな求心力が生まれ、若い人は自らの出自に認識と誇りを持つのではないか。例えば、海外同胞賞を日本で施賞すればどうか。ゴルフのミシェル・ウィーを日本で施賞、若くしてこんなに頑張っている韓国人女性がいることが分かれば、次世代を喚起し目標になる。世界で活躍する政・官・ビジネスのトップリーダーが韓国系と知らしめれば、在日の若い層だけでなく日本社会への影響も大きいと思う」

 在日社会の未来はどうなるだろうか。

 「地方参政権問題をみると、全国の市町村であれだけ多く決議をしているのに、なぜ日本の世論にならないのか。日本の排他性・後進性はあるが、日本社会にもっと鋭く議論をしかけ実現する戦略が求められると思う。在日の問題は深く日本社会自体の問題だ。立法に関わるというのは、責任が均一化されるので、日本も我々も変わる。双方にとってプラスになるはずだ」

 「アイデンティティーを求めると自尊心が生まれ、生きていく上での目安になるが、排他的になり過大に自己評価する危険もある。国際人として狭小な思考は絶対に避けなければならない。個人的には2世の私までは韓国籍で一生を終えたいが、次の世代は日本籍でいいと思う。日韓関係は、解放後も南北分断による矛盾とストレスがある。統一した朝鮮半島を見たい。私自身は常に脇役に徹し、果たすことは限られているが、何よりも韓日を繋ぐ人材を育てることで役立ちたい」