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2007/09/21

<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて③                                                           ― 日本の芸能界で半世紀にわたり活動 金 好植(岡宏)さん ―

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    キム・ホシク 1941年東京生まれ。日本大学芸術学部卒。高校時代からサキソフォーン奏者として稼ぎ、大学在学中にビクターオーケストラの専属となる。クリアトーンズ・オーケストラを結成し、名指揮者ぶりを発揮する。韓日文化交流の貢献に対して韓国政府より文化功労賞を授与。在日韓国人文化芸術協会会長。(株)千秋企画社長。

 「在日文化として発表できるものは何もない。現実は何かを模倣しているに過ぎない。在日がサムルノリやナンタみたいなものを作り上げれば在日文化になるのだが、そうなっていない。芸能界には沢山の在日がいる。若い世代が団結して、在日文化といえるものを生み出してほしい」

 こう訴えるのは芸能界で半世紀にわたり活動を続けている金好植さん。岡宏の名前で通っている。岡宏&クリアトーンズ・オーケストラの指揮者兼プロダクション経営者で、日本で常時17人編成のジャズ・オーケストラバンドを組織している唯一のバンドである。

 「来年35周年を迎える。以前の小バンドを入れると45年。18歳でこの世界に入って足かけ50年になるが、続いたのは仕事を選ばなかったことに尽きる。書きとめた譜面は8万曲あり、どんな歌でもすぐに準備できる。伴奏の仕事が80%だが、韓国や日本の民謡はもちろん、クラシックもジャズ風に演奏できる。オールマイティーのバンドとしては他にないと思う」

 来年3月2日に中野サンプラザホールで35周年記念コンサートを開く。日本の作詞、作曲、著作権協会の会員でもあるが、バンドマスターとしての存在は大きい。

 「45年間バンドマンに給料を払ってきた。それが数百人にのぼり、NHK歌謡コンサートのバンドの半分近くはうちから輩出した。ジャズ界にも沢山出て、育っている。これは俺の誇りだね」

 芸能界には在日の歌手、俳優が多い。20数年前に在日芸能人を組織しようと考えたことがある。

 「動機は血だ。日本の社会にあって、負けたくないという対抗意識があった。芸能界には自分の力、個々でやる人が多いが、団結すればもっと大きな力になる。影響力が大きいのだから、とりあえず結集しようと考えた。しかし、当時は伏せている人、敢えて言わなくてもいい、という人が大半だった。それを取りまとめるのは俺たちの年代では難しかった」

 「もう声をあげていい時代だ。最近は言って差し障りがなくなっていることもあるが、若い人には本名を名乗って活動する人も出てきた。本名を名乗れる土台をつくったのはわれわれだが、誰かが旗を振れば応援する人は必ずでてくる。まだこだわっている人はいるが、在日だから同じ血であることをもっと声に出していいのではないか」

 2000年代から在日韓国人文化芸術協会の会長職にある。

 「恥ずかしいが休眠状態。まだ、南だとか北だとか言う人がいて、親睦会しかできないのでは意味がない。再建の可能性はあり、若い人でやれる人がいないか探している。建設的なことをやるには財力が必要で、韓国政府あるいは民団が資金提供をするべきだと思う。文化を大事にしないと先進国にはなれない」

 歌手キム・ヨンジャさんは、20年前のデビュー時から韓国人であることを積極的にアピールして活躍してきた。ヨンジャさんを支えたのは夫でもある金好植さんである。

 「歌謡界の中で、韓国人であることを見せるのは、本名を名乗ることと韓国の文化を見せること。ヨンジャは必ず頭に“韓国人歌手”の形容詞がつく。それだけで大きな貢献をしており、必ずワンシーンはチマチョゴリを着て歌っている。これはプライドだ。俺のポリシーを押しつけている面もあるが(笑)。昔は白い目でみられたこともあるが、20年間ずっと続けてきた。それを見て、『実は内緒ですけど、私も韓国人です』と言ってくる在日歌手が沢山いた。知っているだけで60人はいる。もう何年も前だが、都はるみが名乗りを上げたのは、俺とかヨンジャの生き様をみて刺激されたからだと思う。本名で活動できるのは最大の文化だね」

 今年6月、ヨンジャさんは日本の演歌歌手代表としてパリ公演を行った。日本政府の機関である国際文化交流基金はなぜ日本人歌手でなく、韓国人歌手を派遣したのだろうか。

 「韓国人として誇りだ。日本の文化である言葉や情緒を完全にマスターしているからだろうが、実は前年には大物歌手が行く予定だったものの、結局尻込みした。堂々と歌えるか不安だったのかも知れない。ヨンジャはこれまで30カ国以上で公演しているが、『ようし、やったろう』という根性がある。パリ公演はウォーと言う声がでるほど大成功で、バンドも非常に評価された」

 2001年4月、彼のバンドとキム・ヨンジャさんは北朝鮮を訪問、公演を行った。
 
 「庶民のために行った。北朝鮮の音楽しか聞けない人たちに、『昔聞いた歌を聞かせたい』と6年間訴えてきた。韓国政府に2年間反対され、足かけ8年かけて行くことができた。数カ所で公演したが、もの凄い反響があった。韓国のナツメロに涙を流す人もいた。それを聞いてか、金正日総書記から歓待され、正味10数時間一緒にいた。『いつどこで演奏してもいい』と許可をもらっている。北に2度行ったが、金正日総書記は、いつも目線が一緒で、庶民芸術家として遇し、『どうしてあんな音が出せるのか』と聞いてきた。偉い人のように見下ろすようなことがなかった」

 在日社会は今後どうなるだろうか。

 「消滅する。在日は特有の民族性や在日文化が一切ないのだから、同化して消滅すると思っている。いつまでも“在日”にこだわる必要はない。もう3世4世の時代であり、日本に溶け込んでいくのは当たり前だ。逆に在日だからどうするのと聞きたい。グローバルな時代であり、パリに行った時、黒人、アラブ人が普通な顔をして街を歩いていて、誰もそれを見る人もいなかった」

 「でも若者には在日の文化を創ってほしい。そうすれば、我々が側面支援する。高い芸術性のみを追うのではなく、庶民のため芸能性のあることをやってほしい。一部の上流階級のためだけでなく、在日庶民一般の味方になれる文化――分かりやすい芸能、分かりやすい芸術、分かりやすい文化を創造してほしい。そのため、文化基金をつくることが必要だ」

 「在日が全員お金を出し合って、釜山でもソウルでも空港に近い山の上にチマチョゴリを着て子供を抱いた“愛の像”をプレゼントしたい。飛行機で上空から見え、これで韓国に入ったと分かるように。これが究極の文化だ。今後の抱負だが、ヨンジャとともに世界中に出ていきたい。歌とバンドの宣教師として」