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2007/07/27

<在日社会>韓日友好願い自転車で両国縦断中――韓国・延世大1年生

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    日本縦断サイクリングに挑んでいる申允哲君

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    韓国と日本の地図を広げ、行程を説明する申允哲君(左)。右は申君を支援している瀬戸雄三・日韓経済協会名誉会長(アサヒビール相談役)

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    激励会には高校生キャンプのOBもかけつけ、申君にエールを送った

 一人の韓国人青年がいま、北海道の札幌から九州・福岡まで、日本縦断のサイクリングツアーに挑んでいる。この青年は、韓国・延世大学1年生の申允哲君(シン・ユンチョル、19/写真・上)。申君は、2004年にスタートした日韓経済協会が主催する「日韓高校生交流キャンプ」に参加したことがきっかけで日本に興味を持ち、1年間、麻布高校(東京)に留学した経験を持つ。今回のツアーは、日本をさらに知り、友好の輪を広げようと計画したもので、申君の心意気に感動した瀬戸雄三・日韓経済協会名誉会長(アサヒビール相談役、高校生キャンプの仕掛け人/写真・中)が全面的にバックアップしている。20日には、アサヒビール本社(東京・墨田区)で申君の激励会が開かれ、瀬戸相談役、アサヒビール、日韓経済協会の関係者らのほか、高校生キャンプのOB、韓国人留学生も駆けつけ、申君を励ました(写真・下)。申君は、8月9日に福岡に到着したあと、フェリーで釜山に渡り、今度は友人の宋昌勲君と二人で自転車を走らせ、板門店近くの臨津閣のゴールをめざす。到着は8月20日の予定だ。日本縦断の約半分の行程を終えた申君に旅のエピソード、今後の決意などを聞いた。

 ――日本縦断の自転車ツアーを企画したきっかけは。

 日本に対する知識も興味もほとんどなかったのですが、日韓高校生交流キャンプに参加して同世代の日本人と仲良くなるにつれ、関心が高まり、麻布高校に留学しました。留学中に北海道を旅行したり、いろいろ経験しましたが、もっと日本のことを知りたいと思うようになりました。2年前に先輩が札幌から福岡まで、自転車で回ったという話を聞き、よし自分もチャレンジしてみようと決意したんです。

 ――自転車での単独ツアーの経験は。

 まったくありません。長い距離を走るのは今回が初めてで、7月4日に札幌入りして走り始めるとすぐに、「どうしてこんなことをしようと思ったんだろう」とちょっぴり後悔しました。

 北海道で、長万部(おしゃまんべ)から大沼公園に向かって走っていたときは、暑さでふらふらになり、とてもキツかったです。だいたい2時間くらい走り、途中のコンビニなどで休憩を取るんですが、このときはお店などなにもなくて、ほんとうに困りました。ノドがからからなのに、水がなくなってしまい、止まっていたトラックの運転手に水を分けてもらいました。このときに飲んだ水は、いままでの人生で一番おいしかったです。

 ――北海道から東京まで走ってみて印象に残ったことは。

 青森で自転車の空気が抜けてしまい、自転車屋さんに行ったんです。そしたら、ことばがさっぱりわからず、自分で空気を入れました。東北弁は、北朝鮮のことばに響きが似てますね。

 今回のツーリングでは、途中いろいろな人に励まされ、日本人の人情を強く感じました。走っているとクラクションを鳴らして応援してくれるクルマや、知らない人から声をかけられることがあり、八戸(青森)では幼稚園児に「がんばってぇ」と声援を受け、うれしかったです。食堂で料理をサービスしてもらったこともあります。

 盛岡(岩手)で宿泊先の岩手青少年会館がわからなくて探していると、自転車で通りかかったおじさんが声をかけてきました。韓国から来て日本縦断に挑戦していると言ったら、ぜひ家に寄っていけと招待され、お茶とスイカをごちそうになりました。日本人は親切で、やさしい人が多いですね。

 ――台風と地震があったが、影響は。

ちょうど仙台に到着したときに台風に遭いました。激しい風雨で前に進めず、日程を遅らせるわけにはいかないので、電車に乗ることにしました。ところが電車も止まってしまい、結局、バスで福島まで移動し、10時間くらいかかってしまいました。白川(福島)では、地震の揺れを体験しました。

 ――一人旅は孤独でつらいと思うが。

 やはり、一人で黙々と走るのは淋しいですね。でも、ただ走るのではなく、途中で、三内丸山遺跡(青森市)をみたり、その土地、その土地の名物を食べたり、気晴らしになります。北海道では札幌ラーメン、アイスクリーム、盛岡では冷麺、仙台では牛タンを食べ、とてもおいしかったです。宇都宮ではギョーザを32個も食べました。

 ――まだ途中だが、今回の旅を今後どう生かしたいか。

 先が長いので、何が得られるかわかりませんが、未知の風物やいろいろな人との出会いが待っていると思うとわくわくします。毎日その日の体験を日記にまとめているので、自分のブログで紹介したり、麻布高校に留学したときの体験談をまとめて本にしたことがあるので、今回も旅の記録を一冊の本にまとめて出版することも考えています。

 ――将来の夢は。

 高校生キャンプに参加して日本を身近に感じ、留学して友だちもたくさんできたので、将来は日韓交流に役立つ人間になりたい。外交官になるのが夢で、両国の友好促進に少しでも貢献したいと思っています。

 残りの行程も一生懸命がんばりますから、沿道でタイツ姿に赤いヘルメットをかぶったぼくの姿を見かけたら、声をかけてください。


◇日韓経済協会 瀬戸 雄三 名誉会長◇

― 若者の交流が日韓関係変える ―

 日韓関係をよくするには、何よりも若者の交流を促進することが大事だと思い、日韓経済協会会長を務めていた2004年に「日韓高校生交流キャンプ」を提案した。当初は、なぜ経済協会が高校生の交流をやるのか、と反対の声もあったが、周囲を説得して実施に踏み切り、アサヒビール、東レ、日本サムスン、韓国のロッテ免税店とロッテ製菓の財政支援を受け、アシアナ航空、新光証券などの協力で今日まで続けることができた。

 日本と韓国は、政財界から一般民間人までさまざまな交流を続けているが、まだまだお互いを知らなさすぎる。友好親善、相互理解などのかけ声のもとに、派手なイベントが行われても、打ち上げ花火のように一過性のものに終わってしまうケースが多い。大事なのは、一人ひとりが相手国の国民と深く長くおつき合いしていくことだ。

 高校生キャンプは、この8月で9回目を迎える。1回の参加者は日本側と韓国側を合わせて約100人に限定し、これ以上規模を増やす考えはない。派手さはないが、地道に交流を続けていくことによって、双方に友人の輪が広がり、日韓関係は着実によくなる。

 今回、日韓友好のため、申君が日本列島を自転車で縦断する決意をし、実行したことに敬意を表したい。彼のように高校生キャンプに参加した若者たちが、将来は政治家や経済人になり、国を支える重要なポストに就くかもしれない。そうなったときに、日韓関係はいまよりもっともっと発展し、よくなるはずだ。すでに、キャンプから巣立ったOBたちが自発的に未来会議を立ち上げ、活動を開始した。非常に頼もしく思う。

 昨年7月に韓国政府から日韓親善交流に尽くしたとして修交勲章光化章をいただいた。その年の暮れにソウルで開かれた日韓財界会議に参加し、勲章のお礼を申し上げたいと思い、経団連のメンバーと一緒に青瓦台(大統領府)を表敬訪問したところ、盧武鉉大統領の隣の席になった。そこでつい、大統領に日韓関係をよくするには若者の交流がなにより大事だと熱弁を振るうと、「韓国政府としても全面的に支援しましょう」と約束していただいた。

 高校生キャンプのような若者の交流は、必ずや日韓両国の財産になる。これからもキャンプが末永く続いていくことを願っている。


■日韓高校生交流キャンプ■

 「日韓間の友好は若い世代の草の根交流から」という瀬戸雄三・日韓経済協会会長(当時、現名誉会長)の発案で、未来志向の相互理解と友情を育むことを目的に2004年に「日韓高校生経済キャンプ」としてスタート。

 日韓の高校生が少人数のグループに分かれて合宿し、自国の観光資源や文化を相手国に売り込むという企画を共同作業で練り上げ、提案する。第1回目のキャンプは、2004年1月に東京で112人が参加して開催、その後、第2回目を東京(2004年7月)、第3回目をソウル(同8月)で行い、これまでに8回実施している。参加者は延べ759人にのぼる。自転車による日本縦断に挑んでいる申允哲君は、高校生キャンプの第1回と第2回に参加。羅鍾一・前駐日韓国大使の子息もメンバーに加わるなど、交流の輪が広がっている。今年2回目となる第9回キャンプは、8月5日から9日まで、東京で行われる。

 5日間のプログラムの中で、国境の壁を超えた友情が育まれ、高校卒業後もOBとして交流を続けている。今年から両国のOBが自発的に集い、「日韓学生未来会議」(日本)と「韓日学生未来会議」(韓国)が発足、新たな交流をスタートさせた。