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2008/07/04

<在日社会>朴載日氏のご逝去を悼む

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              在りし日の朴載日さん

 韓日友好を願って韓国・朝鮮研究のための図書館「文化センター・アリラン」(埼玉県川口市)を創設・運営した朴載日氏(パク・ジェイル、78)が25日、多臓器不全で亡くなった。同じ川口市在住で同氏と親交のあった河正雄さんに、追悼文を寄せてもらった。

 文化センター・アリランを設置して特定非営利法人(NPO)化し、日本で朝鮮民族の歴史と文化を学び、より良く理解してもらうために活動し、献身した朴載日先生が6月25日、多臓器不全で亡くなられた。享年78歳であった。

 2005年のことである。朴先生が倒れ、病院から退院されたというので、姜徳相館長と共に自宅にお見舞いに伺った。体が不自由のためいらつくのか、介護の奥様を困らせていたが、私たちには気遣っていた。その時の会話であるが、後継者のことや停滞しているNPO活動のことを頼むという内容であった。

 姜館長は「何とか立て直しをしますから、心配しないように」といって励まされていたが、朴先生は心の不安を増幅されて、祈るかのように話された。そのことが私の心に残っている。

 1992年、文化センターアリランが川口市に誕生したというので、お祝いにかけつけた。そのとき初めて朴先生と出会った。「民団と総連の人たちが仲良く出会う場にしたい。そして日本の人たちとの交流の場にしたい」と語られた。そして朝鮮近代史研究の第一人者、梶村秀樹先生の遺品である朝鮮関係の書籍の貴重さを顕彰するのだと語った。

 「在日2世、3世の若者を引きずり込めないことが歯がゆい。一人でも多く取り込み、多様な価値観を集結させ、在日が本名を名乗れる在日文化を創造したい。朝鮮問題を日本人に正しく広め、研究と交流のマダンにしたいのだ」と熱く語った。

 弁護士志望で中央大学法学部を卒業したが、時代は夢をかなえさせてはくれなかった。「40歳の頃に日本名を名乗ることをやめた。ずっと日本人ぶっていたが、自分を偽ることに耐えられなくなったのだ」と、しみじみと述懐した。その面影が忘れられない。在日が踏まねばならない踏絵が朴先生が生きた時代にあったと思うと痛ましく切なかった。

 99年文化センター・アリランをNPO法人にした。地域文化の発展に寄与、社会教育の推進、文化芸術またはスポーツの振興を図る、人権の擁護または平和の推進を図る、国際協力の活動などが目的であるという。その目的達成のために多くの研究会やシンポジウム、韓国語講座などを開設し、その活動の成果をアリラン通信で報告されていた。その努力と魂のありように感動と共感をし、尊敬の念を深めていた。

 私財を投げ打って、自己の苦しみや悲しみを浄化させ、多くの人々に相互理解の輪を広げるために生きた朴先生の偉業が未だ陽を見ず、花咲かない不条理を訴えるかのような別れの寝顔であった。

 在日韓国人文化芸術協会や在日韓民族無縁の霊碑を守る会など私が力を入れていた文化事業にも、そして私の息子の嫁探しなどにも心を尽くしてくださり、公私共々慈愛を受けた。安らかにお休みくださいとひたすら祈るばかりである。