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2008/04/18

<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて⑬                                                     ― 貧困と差別を乗り越え世界的バイオリン製作者に 陳 昌鉉さん ―

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    チン・チャンヒョン 1929年慶尚北道金泉生まれ。14歳で渡日。明治大学英文科卒業。独学でバイオリン製作の道を究め、76年、国際バイオリン・ビオラ・セロ製作者コンクール6部門の5部門で金メダル獲得。84年、無鑑査マスターメーカー製作者に認定。陳さんの半生は、日本の高校2年の英語教科書(2008年度)でも紹介される。長野県木曽町名誉町民。

 「在日は祖先からいいものを沢山受け継いでいる。素晴らしい感性、創造力を持っている。だが、それらを生かしきれていない。なぜか。アイデンティティーに誇りがないと発揮できないからだ。それを発揮できるようにしなければならない」

 こう語るのは、独学で世界最高峰のバイオリン製作者になった陳昌鉉さん(78)。大の旅行好きで、これまで119カ国を訪れている。

 「7年ほど前に南米を一周した時、エクアドルのガラパゴス諸島にあるダーウィン研究所を訪ねたことがある。その研究所では、動植物だけでなく世界中の少数民族についても研究しており、在日韓国人の実態も研究していた。民族も動植物と同様に進化、淘汰される(dismiss)というのだ。それで進化論でみると、在日の将来はどうなるのかと聞いてみた。すると『消える』というので、驚いた。在日はアイデンティティーがないから淘汰される第一候補だというのだ。歴史的にみても、主権をもたない外国でのエスニックスは消える運命にあるという」
 アイデンティティーとは、自らの拠り所とか帰属意識を指すが、歴史により解釈も変わってきた。

 「グローバル化の進展で、もはや国籍=民族といえなくなってきた。私はアイデンティティー=コミュニティーと考えている。つまり在日社会、これが在日のアイデンティティーだ。在日韓国人であるということが自分の個性であり、自分自身である。それを極端に出しているのがユダヤ人だ」

 陳さんは、ニューヨーク郊外のハイランドにある大金持ちのユダヤ人家庭で過ごした経験があり、在米ユダヤ人と在日韓国人を照らし合わせて考える。

 「在日との違いは、大金持ちでも質素な生活をしていることだ。かつては異教徒として偏見、差別にあい、職業も質屋、洗濯屋、八百屋などに限られていた。だが、いまでは人口500万人のユダヤ人CEO(最高経営責任者)が3億人の米国を牛耳っており、弁護士、医者の7割がユダヤ人で、金融やダイヤの流通システムを支配しているのだから、ユダヤ人の顔色を無視できない」

 ユダヤ人はなぜ貧困から立ち上がり、今日を築くことができたのか。

 「差別されてもアイデンティティーを放棄しなかったのが一番大きいと思う。ユダヤ人は、アイデンティティーを守るためには金持ちにならなければならないと考えた。なぜアイデンティティーを大事にするのかといえば、生き延びるため、生活のためだった。そのため小学校の時から学年で一番になるため猛勉強した。私が起居したユダヤ人宅でも小学3年生なのに夜明けの3時まで勉強していた。小さいときから記憶力を高め、中・高校でも一番をめざし最高の大学を行かせるほど子供の教育に全力を傾けた。その結果、多くのユダヤ人がCEOになり、アイデンティティーが守れた。支え合いもあった。ユダヤ人はお金を借りるとき、何十億という大金でも領収書を書かない。ラビ(ユダヤ教の神父)の前で金を渡し証人になってもらう。同じコミュニティーの人間を守ると言う考えだ」

 これに比べ在日社会はどうか。世代交代が進み、日本国籍取得者は年間1万人近い。

 「米国のユダヤ人は、自分は米国人ではなくユダヤ人だと思っている。米国籍は一つのライセンス、許可書として考えている。そこは居場所であり、アイデンティティーはユダヤ人だ。これに比べ在日は帰化すると、『もう韓国人でない』と隠れ、在日社会との連帯感とかつながりが稀薄になる。これは、アイデンティティーがないからだ。では、在日はなぜアイデンティティーを確立できなかったのか。ユダヤ人との違いでいえば宗教がなかったこともあるが、自分たちの文化や民族の誇りに対して執着しなかったからだと思う。アイデンティティーを持つには勇気が必要だ」

 帰化をしない代わり、地方参政権を求める運動が10年以上続いている。

 「現状では、日本が在日に参政権を与えることはありえないと思う。日本人に誇りを持たせるには、こういう惨めな民族がいると、差別の対象として在日を残しておく必要があるからだ。参政権よりもっと重要なことがある。勉強をすることだ。そして自分の祖先が韓国人であることに誇りを持てば、強い精神力をもてる」

 陳さんは、世界で5人しかいない無監査マスターメーカー製作者の称号を持つ。14歳で渡日、貧困のどん底の中でも諦めず研鑽し続けた結果である。いまはバイオリン、チェロを1年に5、6本つくっているが、5年先まで予約で埋まっている。

 「『どうして陳さんの音は優しい透明な音がするのでしょうか』といわれることがある。私は多少血かも知れないと思う。韓国人だからこういう音がでるバイオリンをつくれるんだと。もし同じ技術しか持っていなければ、絶対在日はバイオリンづくりで生きていけない。バイオリンは表が松、裏はカエデでできているが、私がつくったものが深く柔らかく渋い音がするのは、方程式があるからだ。それは私の遺伝子の中にあると思っている」

 進化論では、在日は「消える」運命というが、そうならないためにはどうすべきなのか。
 
 「進化論の建て前からいえば、人間も適者生存であり、淘汰されないためには知識と能力を身につけなければならない。バイオリンづくりも、化学、幾何学、算数、物理など計算しつくして理にあったようにつくらないと音が響かない。職人ですら教養がとても大切だ。在日は次世代の未来にもっともっと投資すべきだ。ユダヤ人のようにCEOをめざせば、社会的ステータスは必ず上がる。人間は見栄より誇りだ。教育に自己投資し有能になり付加価値を高め、日本社会にも貢献すれば自分のアイデンティティーに誇りがもてる。僕も実力をつけたから、こんなことが言える」

 「動物でも希少な鳥とか魚でも保護しようというのが世界の流れだ。それが万物の霊長であり、ルーツにしても5000年の歴史がある優秀な民族である。そんな背景をもつ在日は自らのアイデンティティーに対し誇りをもって生きる道を考えるべきだ。坂本龍馬のような先駆者、メッセンジャーが表にでて在日社会を引っ張ってほしい」