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2008/03/28

<在日社会>韓国・慶尚南道泗川市に、韓国人特攻隊員の慰霊碑建立

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                記者会見を行う女優の黒田福美さん

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            1945年5月に戦死した韓国人特攻隊員の卓庚鉉さん

 女優の黒田福美さんが、日本の特攻隊員として出陣、戦死した韓国人特攻隊員を悼む慰霊碑の設立に尽力し、除幕式が命日の前日となる5月10日に行われることになった。記者会見で黒田さんは「日韓友好の礎にしたい」と語った。また除幕式に参加するツアーが企画され、参加者の募集も始まった。

 碑が建立される韓国人特攻隊員は、卓庚鉉(タク・キョンヒョン)さん。卓さんは1945年5月11日、日本陸軍の戦闘機で鹿児島基地から出撃したが、沖縄近海で24年の生涯を閉じた。

 特攻隊員をテーマにして2001年に公開された日本映画『ホタル』で、出撃前夜に韓国民謡「アリラン」を歌って別れを告げる特攻隊員が登場し観客に感銘を与えたが、そのモデルとなったのが卓さんだ。

 黒田さんは1991年、「戦争で死ぬことに悔いはないが、自分は韓国人であるのに日本人の名前で死んだことが残念だ」と韓国人青年が話す夢を見たという。

 「どんなに無念であったろう」と以来、韓国出身の神風特攻隊員を探し始めた。95年に夢の内容をコラムとして日本の新聞に掲載。コラムを読んだ靖国神社の関係者から、「それは神風特攻隊員の光山文博さん(卓庚鉉)ではないか」との情報提供を受けた。

 黒田さんは光山さんの写真を見て、夢の中の青年と確信し、彼の故郷に慰霊碑を建立するための活動を始めた。その過程で、沖縄の「平和の礎」に刻まれた韓半島出身者の戦死者を長年調査していた韓国の洪ジョンピル・明知大学史学科教授(当時、現在は東京大学客員教授)を紹介された。

 洪さんは「歴史家の使命は歴史から学び、平和への願いを訴えること」の信念で調査を行ってきた方で、兄が日本海軍の特攻兵だった事情もあり、黒田さんにしてともに活動することになった。

 昨年2人は、卓さんの生まれ故郷の泗川市西浦面を訪れた。ソウルからバスを乗り継いで往復10時間の道のりだ。そして卓さんの親戚と会って慰霊碑建立の承諾を得た。

 最初は卓さんの生地近くにささやかな石碑を建てる予定だったが、話を聞いた泗川市(サチョン)市長が、韓日友好に貢献できるならと慰霊碑予定地に「木槿の花公園」という立派な敷地を提供してくれるなど、話が進んだ。

 碑は韓国の著名な彫刻家、高承親さんが「歴史的に意味のあること」と実費のみで引き受けてくれた。碑は高さ約5㍍、花崗岩で作られ、上部には不死鳥をイメージするヤタガラスが飾られる。

 黒田さんは、「浮かばれぬ魂が懐かしい故郷の山河へ帰るように、そんな思いを込めて『帰郷祈念碑』と名付け、ヤタガラスをデザインした。一人の韓国人特攻隊員の慰霊碑だが、同時に多くの戦争犠牲者の冥福を祈るものにしたい」と話す。

 碑の製作には多額の費用がかかり、黒田さんらは実行委員会をつくり、カンパを呼びかけている。「帰郷祈念碑建立実行委員会(キキョウキネンヒジッコウイインカイ)」みずほ銀行経堂支店1085579

 韓国観光公社は、日本の旅行社とともに、慰霊碑除幕式への出席と泗川・釜山観光を柱とした韓国ツアーを企画した。

 呉龍洙・韓国観光公社東京支店長は、「『帰郷祈念碑 除幕式参加の旅』が、韓日の平和と交流を考える旅になれば」と話す。

 ツアーは5月9日出発で2泊3日と3泊4日の2コース。10日の除幕式出席のほか、9日には大田昌秀氏や関係者によるシンポジウム、除幕式後の慰霊登山なども計画されている。℡0120・988・134。