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2008/11/28

<在日社会>在日の朴容震・漢陽大教授、電気電子技術学会(アジア太平洋地域)会長に

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    パク・ヨンジン 1946年東京生まれ。早稲田大学理工学部卒業。同大学院で博士号取得。79年渡韓、漢陽大助教授を経て教授就任。09年1月1日からIEEEアジア太平洋地域会長に就任。

 在日2世の朴容震・漢陽大教授(62)が、来年1月1日に世界最大の学会であるIEEE(アイトリプルイー、電気電子技術学会)のアジア太平洋地域会長に就任する。任期2年。在日2世としては初めて重要な国際機関の重責を担うことになる。朴教授の専門はコンピューターネットワーク。30億台の携帯端末で結ぶ新たなネットワーク技術の研究にも取り組んでいる。日本生まれで韓国語も分からない朴容震氏が、いかにして母国の教壇に立ち、世界的学会の地域会長に選ばれるまでになったのか、そこには一つの在日の生き方があった。

 ニューヨークに本部があるIEEEは、世界150カ国・38万の会員を擁する。アジア太平洋地域会員は6万7000人にのぼり、直接投票で行われる同地域会長選は朴氏と香港、インドの候補との争いになった。

 「韓国の学会はもちろん、日本の学会の人も応援してくれた」

朴氏が当選したのは、このような両国の応援も大きかったという。

 「アジア太平洋地域には60ほどの支部があり、それを統括する。地域の発展のため頑張りたい」

 朴氏は東京生まれ。家は下北沢で電気屋を営んでいて、小さい頃から理系だった。早稲田大学の理工学部に進学、博士号を取得した。ところが、大企業に就職しようとしたら、「前例がない」といわれた。当時はまだ在日韓国人に対する就職差別が根強かった。

 そんな時、早大に交換教員としてきていた漢陽大の先生から、熱心に勧められて1979年2月に訪韓した。

 「最初は妻からも両親からも反対され、韓国語は全くできなかったので不安もあった。でも日本では就職口もないので決心した。最初の半年は言葉ができないので講義ができなかった。それがそのまま30年近く韓国に居着くことになった」

 「それにしても、韓国語が全くできないのに、大学の助教授に採用してくれた懐の深さには感じ入った。当時、韓国は工業化に力を入れていたが、海外で電子工学の博士号を取得した人はほとんどいなかった。おそらく大学でマイクロコンピューターの講義をするのは私が初めてだったと思う。学生たちは勉強にとても熱心だった」

 日韓辞典を手放さない大学での講義も板についた朴氏は1983年、米UCLAで学位を取得したやはり在日2世と一緒に、大学数校をつなげるインターネットを立ち上げた。この分野の韓国での草分けであり、日本はその後の85年である。

 その後、研究の傍ら、ISO(国際標準化機構)韓国協会を創設したり、APAN(アジア太平洋高度研究情報ネットワーク)の事務局長を務めるなど学会活動にも励む。

 現在の研究テーマは、無線の端末をつなげるため、どういう方式にするかというプロトコル(規格)づくりだ。インターネットの世界は今後、携帯電話を主軸に有線から無線の時代を迎えるが、有線に比べ、無線は外部の雑音の影響を受けやすい欠点があり、安定したデータのやり取りをできる環境づくりをめざしている。

 「いま全世界で携帯電話は30億台使われているが、今後はこの機能が発達し、パソコンみたいにインターネットにつながる時代がくる。パソコンは5億台が有線でつながっているが、巨大化に伴いセキュリティーなどの問題が発生している。もともと数百のコンピューターを前提にしたいまのネットワーク技術では対応できなくなっている。それで全く新しい技術研究が始まっている。これを未来ネットワークと呼んでいるが、韓国が世界標準に挑戦できるチャンスだと思っている」

 言葉もできない在日2世が30代で渡韓、大学・大学院で学んだ電子工学の知識・技術だけで道を切り開き、国際組織の重責を担うまでになった。

 「韓国と日本の双方に知り合いが多いので、日韓の懸け橋になれればいい。来年からIEEEのアジア太平洋地域の会長になるので、後輩たちが国際会議、国際的組織で活躍できるように道を切り開いていきたい。もう垣根はないと思う」