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2009/02/27

<在日社会>浅川巧の生涯描く・映画「白磁の人」制作へ

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    浅川巧

 朝鮮が日本によって植民地とされた時代、朝鮮美術を愛し、その保存と民衆同士の友好に尽力した浅川巧の生涯を描く映画『白磁の人』が、制作されることになった。3月14日に浅川巧の出身地である山梨県で製作発表が行われた後、撮影に着手する。公開は来年を予定している。

 映画『白磁の人』制作委員会は、2005年1月に発足した。「浅川巧の故郷である山梨県の文化向上と『韓日』の相互理解・交流に寄与する」ことを目的に、地元で事業を営む長坂鉱司さんを発起人代表に実行委員32人、会員2001人でスタートした。

 小説「白磁の人」の中高校における読書活動推進、山梨県内の小中高校に「白磁の人」文庫本贈呈、韓国語版5000部の作成と韓国内関係者への配布などの活動を行いながら、映画化実現に向けて準備を行ってきた。そして日本の外務省、文化庁、在日本韓国領事館などに協力を要請し、賛同を得て、制作の見通しが立ったことで、3月14日の発表となる。

 脚本は『Wの悲劇』で毎日映画コンクール脚本賞を受賞した荒井晴彦さん。監督は『大河の一滴』『草の乱』などのヒューマニズムあふれる本格的な作品を発表している大ベテランの神山征二郎さん。予算は2億5000万円で、6月から撮影を開始する。在日の李鳳宇さんが代表を務めるシネカノンが配給し、韓日併合100周年となる2010年に公開予定だ。なおキャステングは3月14日に発表される。

 日本側制作代表の長坂鉱司さんは「日韓友好を願う映画にしたい」と話す。在日の立場で協力してきた河正雄さんは「浅川巧の友好と共存の精神を学ぶ映画にしたい。在日の生き方を考える上でも浅川巧の人生は参考になるはず。在日社会にとっても意義ある映画にしたい」と述べる。

 小澤龍一事務局長は「西洋の美が主流だった時代に、浅川巧は朝鮮の美をアピールすることで、美の相対化を示した。真理は相対的なものであることを映画で示したい。それが共生につながると確信する」と強調した。

 浅川巧(たくみ)は1891年、山梨県高根町に生まれた。山梨県立農林学校を卒業後、1914年、植民地下の朝鮮に渡り、総督府営林所に勤務した。兄の伯教(のりたか)の影響を受け、朝鮮美術への関心を深めていく。1924年に朝鮮美術館を開館し、陶磁器、民芸品、食器、膳など朝鮮美術品の蒐集・保存・紹介に尽力する。

 1929年には『朝鮮の膳』を刊行、翌1930年には兄・伯教が『釜山窯と対州窯』を刊行した。浅川巧は1931年、40歳の若さで死去。同年『朝鮮陶磁名考』が刊行されている。兄・伯教は1946年日本に帰国し、64年に80歳で亡くなった。

 民族共生と友好を願った浅川巧は、韓国人の心の中に生きた日本人であり、日本と韓国の学校教科書にも掲載されている。

 91年には浅川兄弟生誕の地記念碑が山梨県高根町に建立され、2001年には「浅川伯教・巧兄弟資料館」が旧高根町にオープンした。


■小説「白磁の人」

 山梨県出身で1914年に朝鮮に渡り、日本の植民地支配の時代に、朝鮮の人々に博愛の精神で接するとともに、朝鮮の陶磁器や木工品など民芸の中に、朝鮮民族文化の美を見いだし、それを日本に紹介した「浅川巧」の人となりや、その尊い業績を描いた作品(江宮隆之著・河出書房新社版)。