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2009/07/31

<在日社会>釜山在住・崔秉大氏、在韓日本人妻を支えた半生

  • 釜山在住・崔秉大氏、在韓日本人妻を支えた半生

    崔秉大さん㊧と北出明さん

 1965年の韓日国交正常化後、釜山の日本総領事館職員として働き、在韓日本人妻の墓地建設などに貢献した崔秉大(チェ・ビョンデ)さんの半生を描いた「釜山港物語」(北出明著、社会評論社)の出版記念会が、27日に都内で行われた。崔さんは「今後も韓日交流に役割を果たしたい」と述べた。

 崔さんは1929年、韓国・慶尚南道生まれ。日本の植民地時代、両親は幼い崔さんを祖母にあずけ、日本に働きに行った。それから数年後の1940年、11歳になっていた崔さんは広島で働いていた両親の元に行き、日本での学校生活を始める。「朝鮮人、ニンニク臭いぞ」といじめられることもたびたびだったが、日本人教師の励ましを得て、勉学、スポーツともにトップクラスの成績をあげたという。広島で解放を迎え、直後に韓国に戻る。しかし祖国は荒廃し、しかもコレラが発生し、姉と母親を相次いで亡くす。その後、韓国戦争の混乱を避けて再び渡日し、明治大学に入学した。バイト先で暴力団とのトラブルに巻き込まれるなど苦学して卒業。59年、再び祖国に戻り情報機関で5年間勤務した。

 65年に韓日国交正常化が実現し、66年1月に在釜山日本国総領事館に勤務するようになった。「韓日の懸け橋になる仕事をしたい」との希望がかなったのだった。

 韓国には韓国人男性と結婚した日本人妻の会「芙蓉会」がソウルと釜山にある。国交回復前、弊社が支援活動を行ったこともある。国交回復後、日本への永住帰国を希望する女性や子どもたちが急増すると、崔さんは、身元引受人となる親族探し、戸籍確認などに尽力した。その後も73年に釜山芙蓉会会長となった国田房子さんと二人三脚で、会員の生活を助けた。

 74年、光復節式典で在日の文世光が壇上の朴大統領めがけて狙撃、大統領夫人に当たって死亡したことに対し、激怒したデモ隊が釜山の日本総領事館の日章旗を燃やそうとした事件では、デモ隊に割って入った崔さんが日章旗を取り戻し、韓日関係が悪化するのを防いだ。

 さらに80年5月に起きた光州事件では、光州の邦人救出に尽力し、日本の大来佐武郎外務大臣(当時)より表彰を受けるなど、一貫して韓日交流に尽くしてきた。

 崔さんは出版記念会で、「芙蓉会のおばあさんたちのことは、本当に忘れられない。韓日が今後、本当に良い関係になってほしい」と述べた。

 著者の北出明さんは、「両国の間を生きた崔さんの波乱万丈の人生を伝えることが、日韓友好のために価値あることと考えた」と話した。