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2010/06/18

<在日社会>平和希求した柳の思想継承を

  • 平和希求した柳の思想継承を

    左から李進熙氏、水尾比呂志氏、姜尚中氏

 1910年代から30年代にかけて朝鮮美術品を多数収集し、その保護に尽力、ソウルに朝鮮民族美術館を開館した柳宗悦の足跡をたどり、今後の韓日交流について考える記念公開講座「柳宗悦に学ぶ―日韓文化交流の礎」が15日、東京・四谷の韓国文化院で開かれた。同院で開催中の、「柳宗悦没後50年・韓国文化院新庁舎オープン1周年記念事業 柳宗悦 朝鮮とその藝術展」の関連企画だ。

 記念講座では最初に、小倉和夫・国際交流基金理事長が「これからの日韓交流を考える」と題して基調講演を行い、「97年から3年間、駐韓日本大使として韓国に赴任したが、過去にあったような激しい反日デモの時代では無くなっていた。日韓関係は大きく進展し、旅行者も急増した。しかし、それが逆に表面的な理解に終わらないか心配だ」と述べた。

 「日韓文化交流と柳宗悦」と題した座談会では、李進熙(イ・ジンヒ)・和光大学名誉教授、姜尚中(カン・サンジュン)・東京大学大学院情報学環教授、水尾比呂志・日本民藝協会会長が発言した。

 李進熙さんは、「半世紀以上前になるが、1954年に神田の古本屋で柳さんの『朝鮮とその藝術』に出会い、戦前に書かれた序文『軍国主義を放棄しよう。我々は人間らしく生きよう。朝鮮の人を踏みつけたら世界の敵となるだろう』との文を読み、軍国主義の時代にこれだけの事を書いた人がいたことに衝撃を受けた。そして柳先生の思想、柳先生が見出した朝鮮の美を理解したいと思いつめた。しかし、日本民藝館に行っても、先生に声をかける勇気がなかった。先生が亡くなったと知った後、一周忌に線香をあげにいって、夫人の柳兼子さんと知り合いになった」と振り返った。そして、「柳は1916年、釜山にある新羅時代の仏像を見て、こんなすばらしい文化を作る民族を支配するのは間違いだと言った。柳は朝鮮民芸に触れる中で、朝鮮美を再発見した。『朝鮮の美は悲哀の美』と表現した文について70年代に韓国で批判が出たが、それは柳の一部分だけを見ての批判だった」と強調した。

 姜尚中さんは、「日曜美術館というNHKの番組で司会を担当しているが、女性陶芸家のルーシーリーの特集で、彼女が朝鮮白磁の大壺を愛し、大切にしていたことを知った。柳は朝鮮に対する愛を持ち続けた。柳の朝鮮文化についての論評は、韓半島の人々が自己理解を深める機会にすればいいと思う」と述べ、「韓日は消費水準も生活様式も似通っている。年間500万人近くが相互往来する関係は世界的にも稀だろう。デジタル文化の交流も行われているし、日本の現代文学は韓国で盛んに翻訳されているが、韓国の現代文学は日本であまり紹介されていない。映像文化に劣らず活字文化も多く紹介されることが、今後の交流促進の課題ではないか」と述べた。

 水尾比呂志さんは、「柳は『いいものはいい』の信念で、対立でないもの、対立を越える生き方を求めた。その思想は未来の参考になると確信する」と締めくくった。