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2003/12/19

<トピックス>故高円宮殿下が見た韓国 -第31回-

  • 高円宮妃殿下

                     高円宮妃殿下

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    釜山タワー下の李舜臣将軍像の前でポーズをとられる高円宮殿下と妃殿下

◆ 李舜臣将軍 ◆

 釜山タワー下の李舜臣将軍像の前でポーズをとられる高円宮殿下と妃殿下(写真:上)

 李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像の前で撮ってもらった写真です。韓国では誰もが尊敬する偉大な英雄で、国内のいたる場所に銅像が建てられているとのこと。ソウルにもありましたが、龍頭山(ヨンドゥサン)公園の李舜臣将軍像は釜山タワーと並んでいて、釜山のランドマークとなっています。

 実はこの写真を撮るまでは、李舜臣将軍を文禄、慶長の役(壬辰倭乱と丁酉倭乱)で、朝鮮の水軍を率いて、日本水軍を撃破した人物として漠然と記憶しておりました。その後にいろいろ教えていただきました。

 豊臣秀吉の命によって明国の征服を理由に「通過点」である朝鮮に侵入してきた日本軍は、戦国の世を生き抜いてきた兵士による精巧な火縄銃を使い、かなりの勢いで進撃しました。しかし秀吉の軍勢は陸上では優位でも、海上では昔ながらの敵船に乗り込む戦術に頼っていたため、距離をとって大砲で攻撃をしかける朝鮮艦隊や亀甲船(コブッソン)に対してはなすすべもありませんでした。また、李舜臣将軍は朝鮮南海の地形や潮流を熟知しており、最大4,5メートルにもなる干満の差を巧みに利用した作戦で戦局転換に大きな役割を果たしたのです。

 銅像の土台に、当時使った亀甲船の絵が刻まれていました。今まで亀甲船がどのようなものなのか知りませんでしたが、舟形が亀のようでありながらも「細長く流線型で速度が得られるようになっており、安定度も高かった」と本に書いてありました。

 上は板で覆われ、人が通れる細い道があるほかは刀錐がさしてあり(ちょっと怒ったハリネズミのようなのではないかと思うのですが)、戦闘となると、その刀錐に筵(むしろ)をかけてカモフラージュし、飛び込んできた敵兵が刺さってしまう仕組みになっていたようです。

 また前後左右にいくつもの銃口があり、たとえ包囲されてもいっせいに発砲できる、優秀で丈夫な特種船でした。李朝初期に建造されたこの亀甲船が実戦向きではない、と忘れられていった中で、ひとり李舜臣将軍だけが中央官庁にその必要性を説いて船の改良を重ねていた、というのですから、「国民的英雄」と讃えられるのがなぜか良くわかりました。

 龍頭山公園は、ハトがとても多く、また週末は若者が集い、にぎやかな歌や踊り、伝統芸能公演などで東京の原宿のようになるそうです。外敵の侵入に備えて、今もなお釜山の海に向かって、勇ましくたっている李舜臣将軍の目は今の日本をどのように見ているのでしょうか。

 対馬が晴れた日には見えるという釜山。 韓国訪問最後の記者会見で宮様は「近くて遠い国が、近くて遠くない国になった」とおっしゃいました。これから「近くて近い国」になるようしっかりと前進していくのは、私たち一人一人に与えられた責務だと思っております。(高円宮妃殿下)