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2010/06/18

<トピックス>日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年

  • 日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年①

    昨年ソウルで開かれた合同総会での記念撮影

  • 日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年②

    もりやま まゆみ 1927年東京生まれ。47年津田塾専門学校外国語学科卒。50年東京大学法学部法律学科卒。同年、労働省入省。80年参議院議員当選。89年環境庁長官、内閣官房長官。92年文部大臣。2001年から03年まで法務大臣、衆議院議員(自民党)などを歴任。現在、白鴎大学学長、日本カメラ財団理事長。

  • 日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年③

               韓日女性親善協会 李 堯植 会長

  • 日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年④

    韓日の大学生たちの交流は来年2月で50回目を数える

  • 日韓・韓日女性親善協会、児童・学生と一緒に交流重ね32年⑤

    児童作品交流・作品集に収録された韓・日児童の絵画。01年のテーマは韓日ワールドカップ

 日韓女性親善協会が今年、創立32周年を迎えた。設立当初以来、お互いの文化を尊重し、理解し合うことをめざし、カウンターパートナーの韓日女性親善協会と交流を積み重ねてきて32年。その交流の一つの成果として、児童作品交流(絵画・作文)をまとめた一冊の本がこのほど完成した。また毎年、年2回実施してきた学生交流が来年2月に50回目の節目を迎える。両協会は、女性同士の韓日交流としては最も長期間持続しており、特に児童・学生の交流に大きな役割を果たしてきた。今後もこの2大事業を軸に交流を広げていく考えだ。

 「三つ子の魂百まで」といわれるように、幼児期の教育はとても重要なのと同様に小さい頃からの交流もとても大事だ。

 「児童作品交流で芽生えた日韓交流が学生交流につながり、社会の一員になってからは日韓交流の担い手になる」。日韓女性親善協会は、そんな役割も担ってきた。

 日韓女性親善協会と韓日女性親善協会は1978年5月、日本で合同総会を開き、「両国の友好親善とアジアの平和、ひいては世界平和を私たち女性の手で進めたい」とアピールして発足した。

 創立以来様々な事業を行っているが、児童作品交流と学生交流が2本柱になっている。これは未来の種まき事業といえるもので、創設者の故相馬雪名誉会長は、「女性は子を生み育てる故でしょうか、どうしても次の世代を考えずにはいられません」と強調されていた。

 両事業とも毎年欠かさず実施されてきたが、長年にわたり蒔かれた種がどのように芽吹いているのか、ネットワーク作りを通じて調査する課題も残っている。

 協会のメンバーはまた、こういう事業のほかに、韓国料理を楽しむ会や韓国料理講習会なども実施、食文化を通じての友好親善も図っている。

 日韓女性親善協会の組織は現在、東京の本部以外に茨城(80年結成)、関西(82年)、栃木(86年)、福岡(89年)の4支部があり、会員は約600人。一方の韓日女性親善協会は、07年に忠州支部が結成され約380人の会員で構成されているが、最近新たに大邱で支部が結成され、活動の広がりをみせている。

 長年にわたる韓日友好親善活動が認められ、84年に日韓女性親善協会の相馬雪香会長(当時)に韓国大統領から国際親善交流に貢献したとして修好宗礼章が叙勲された。87年には韓日女性親善協会の朴貞子会長(当時)に韓国の女性としては初めて勲三等宝冠章が日本政府から叙勲された。

 両協会は創立以来、韓国と日本を毎年交互に訪問して、合同総会を開き、講演会・研修などを行ってきた。昨年の合同総会は韓国で開かれ、研修では歴史的名所でもある江華島 最古の寺院、伝灯寺などを見学した。

 今年の合同総会は10月に開催する。日韓女性親善協会関係者は、「08年の30周年式典にご臨席いただいた常陸宮妃華子殿下は、創立5周年以来、両国の親善にお心をかけていただいて、来日された韓日女性親善協会の李堯植(イ・ヨシク)会長ら理事の方ともご引見された。今年もその予定です」と語った。

 日韓女性協会は、これまでの事業を継続する一方、時代の変化に対応してさらなる交流の拡大をめざす考えだ。

◇ 日韓女性親善協会 森山 眞弓 会長 ◇ ――「若い人が大事」これを失わずに

 女性の手で日韓交流を促進し、両国の相互理解と親善を深めようと1978年5月に発足した日韓女性親善協会。故・相馬雪香名誉会長の志を受け継ぐ、森山眞弓会長に活動方針などをうかがった。

 ――会長になられて10年。これまでの国会議員の立場と比べ、会長として活動方針に違いはありますか。

 日韓女性親善協会の会長は相馬雪香さんが務めていらっしゃいましたが、10年ほど前、「貴女に譲るから後は頼むね」と言われました。しかし、最初の頃は私は法務大臣になったばかりで、会長の仕事は十分できず、相馬先生は名誉会長ではいらっしゃいましたが、会長の仕事をその後も随分お願いしていました。

 相馬先生は2年前に亡くなられましたが、常に相馬先生だったら、どうお考えになり、どうされただろうかと考え、それを私の判断基準にしています。相馬先生というお方は、とても国際的で、経験豊かでしたし、はっきりとしたお考えをお持ちでした。特に日韓女性親善協会については、日韓の長い歴史のことを考えて、とても熱心でした。

 男の人は国際情勢とか外交問題とかに目を奪われがちですが、女性同士がざっくばらんに子どもの話しとか、家庭の話しなどから始めれば、親善を深められるという思いで始められたと聞いております。

 幸い今は日韓の間はとても平和で、安定していますから、こうした考え方をこれからも続けていきたい。それが結果的には相馬雪香さんのお考えと一致するのではないかと思います。私も議員を辞めたので、これからは、もう少しゆとりがあるといいですね。

 ――時代を担う学生交流が来年の2月で50回目になります。記念行事などをお考えですか?

 参加した学生たちには、今後社会人になってからも、女性は日韓女性親善協会のメンバーにもなってもらったり、男性の場合はサポーターになってもらいたいと思います。

 20歳くらいだった若者も今は40代になって、お子さんもいたりして、第一線で活躍されているでしょう。それだけでも歴史があるので、皆さんで集まって、交歓会みたいなものをやってもいいかもしれません。こうやって25年間、50回にわたって交流を続けている団体は少ないと思います。その秘訣は相馬先生がしっかりやっていらしたのと、若い人が大事だとお考えになっていたからだと思います。

 ――児童作品の交流展が今年は韓国文化院で開催されるそうですが。
 
 文化院のある四谷周辺の小学校などの方々にも協力いただいて、見に来ていただくだけでなく、できれば作品の展示もしていただきたいと思います。子どもの絵というのは、どこでも共通のものがありますが、非常に無邪気で、しかし日常生活を実に率直に表していて、親善を促進するには良い材料ですよね。

 ――韓国料理教室なども開催しているそうですが。

 会員同士が誘い合って韓国料理を食べたり、習ったりということを良くやっています。韓国料理は宮廷料理もあれば、庶民の味もありますが、わたしもすべてにお付き合いすることはできませんけれども、年に何度かご一緒して美味しいものを味わっています。

 ――韓国との交流を通じていろいろと感じることもおありかと思いますが。

 以前は相馬先生に誘われて会員の一人として参加していましたが、今度は「あなたが会長です」と言われて、困ったなと思いましたが、一生懸命やってみると、相馬先生がおっしゃった様に、やはり女性同士の話し合いというのは、すべての基本にあると思います。

 韓国側の李堯植会長がご熱心で、栃木県支部の総会にも関西支部の総会にも、よくいらっしゃいます。李会長も私も2代目ですが、私の次の会長には、韓国に関心があって親善をいっそう深めたいと思っている方が望ましいでしょう。

 ――最後にメッセージをお願いします。

 児童画や学生交流が非常に重要なテーマですが、これからもおおいに力を入れていきたいと思います。もし、この記事をお読みになった方は、自身のお子さんやお孫さんに関心を持ってもらうようお話しをして頂きたいし、若い方々が積極的に参加していただけるよう応援していただきたいと思います。


◇ 韓・日児童交流作品集が完成 ◇ ――韓日女性親善協会 李 堯植 会長

 「韓・日両国児童作品(絵画・作文)交流 画報・記念集(1979~2009年)」と題した作品集がこのほど完成した。この作品集は、韓日両国の子どもたちが描いた絵と作文を1冊の本にまとめたもので、韓日女性親善協会と日韓女性親善協会の念願が実った。

 作品集は、韓国語と日本語を併記。79年にソウルで行われた第1回から昨年の30回まで毎回の展示会の様子をはじめ、出展絵画と作文を掲載している。両国の子どもたちの絵画、作文を通じて習慣や習慣の違いと共通点も学ぶことができる、韓日児童交流の貴重な記録である。

 李堯植(イ・ヨシク)会長は発刊辞で、「記録は永遠に継承されるものであります。このたび30年間の両国児童の絵と作文、そして展示会を編集し、画報集としてまとめましたが、これは簡単なことではありませんでした。しかし、これからの文化的価値を考えますと、後輩には最大の贈り物となり、これが両国の友好親善交流のこやしとなると信じております」と強調した。

 この本を手に取った協会員からは、「両国の子どもたちの興味や夢が綴られていて大変興味深く見せてもらいました。両国の生活や文化の違いが分かり、理解を深める手助けになると思いましたが、その環境作りをしてきた母親たちの歴史も見えてきそうです」という声も聞かれた。

 韓日女性親善協会刊。B5変形判、498㌻。

◇ 来年50回目の学生交流、素晴らしい体験「韓国に住みたい」感覚に ◇

 学生交流は毎年、夏に日本の大学生が訪韓し、2月に韓国の大学生が来日して交流を深めてきた。来年の2月には、そんな交流が50回目を迎える。交流を重ねる中で、日韓学生会議(JKSE)と韓日学生会議(KJSE)が組織され、受け入れ準備をしているが、年を追うごとに交流は深まりを見せている。

 日本から24人の大学生が参加した第47期プログラム(09年8月)の報告書が最近まとまったが、7泊8日の韓国訪問の体験でどんなことを感じたのだろうか。特徴的な3人の報告書を紹介しよう(学年はいずれも昨年当時)。

 「素晴らしい日韓学生交流47期夏プロ」と題した日本大学2年の盾優作さんは、「個人的には韓国は3回目で過去2回もほかの団体での学生交流でした。韓国に行って毎回思うのが、日本のメディアでいわれている韓国人のイメージがほんの一部の例であるということです。

 よく韓国人は皆、戦争のことがあって日本人を良く思っていないといわれていますが、いままでの学生交流ではすごく親切にしてもらいました。しかし、日本が戦時中に韓国にどんなことをしたのかを知らないわけではないし、過去に高齢の方と話す機会もあったので、そのような話を直接聞いたりもしました。戦争のことをしっかりお互いが認識して、その上で交流して、初めてうわべだけでなく中身のある友好関係が築けると思います。今まで関わった韓国の学生はそのことをしっかり分かっていて、私たちと本当の友好を築こうとしてくれたのだと思います。今回の夏プロでさらに韓国が好きになりました」と語った。

 「夏プログラムで得たもの」と題して学習院女子大学2年の山田恭子さんは、「海で泳いだり、早起きして日の出を見に行ったり、林の中のたぬきを見つけて驚いたり、イヤホンを片方ずつ分け合って音楽を聴いたり…様々な体験を共有した私たちには、もはや国籍など関係ありませんでした。社会的な区別や植えつけられた偏見を一切なくし、心から笑い合える友達ができたことに私自身驚いています。

 友達になるのに、国や文化が違うといったことは関係ないのです。それについて身をもって改めて理解することができました。これも、JKSEだから得られた経験なのでしょう。プログラムに参加することができて良かった、と本当に何度も思います。」と報告。

 「夢のような一週間」と題して国際基督教大学3年の藤田玲華さんは、「プログラムが始まって見ると、1日1日が本当に楽しくて、時間があっという間に過ぎてしまいました。ホームスティでは韓国のご家庭、ご家族の温かさを感じ、ショートトリップでは、初めて行った江原道で自然の景色や名物を味わったりと、全てが忘れられない、そして一生忘れたくない思い出になりました。特にメンバー4人で朝の5時まで韓国語の勉強をしながら話していたことが印象的です。みんなが言っていたことですが、『寝るのがもったいない』と本当に思いました。最後のころには、本心から『韓国に住みたい』とKJたちに言っている自分がいました。」と振り返った。

 今プログラムに会長として参加した呉文恵さん(オ・ムネ、当時学習院大学3年)は、「未来をつくっていく自分たちの世代は、そういった(過去の)歴史の状況や、今でもその傷は少なからず残っていることを理解しながらも、これからしっかりと交流をして、お互いがお互いを分かりあえるような存在になっていくべきではないのかと思い、私たち日韓学生交流、韓日学生交流のこのプログラムの本当の意味を深く考えるようになりました」と記している。ともかく、参加することで大きな収穫を得たことが伝わってくる報告である。

 学生交流を担当している黒澤美恵子理事は、「多くの学生たちが、韓国と日本の懸け橋になろうと、何も知らない状態から言葉、習慣、歴史、文化を学び、お互いの国を少しでも理解しようと活動してきました。きっかけは何であろうと、年に2回の夏と冬のプログラムを通して、じかに韓国の学生に接することでもっと相手のこと、相手の国のことを理解したいと思うようになります。そして、その繋がりは卒業後も続いています」と述べ、「50回目の節目に、延べ400人にのぼる参加者たちのネットワークを作り、情報の共有や交流を通して、将来にわたり両国の友好に役立つ人材を育てる助けをしたいと考えています」と語った。

◇ 日韓女性親善協会の創立者・相馬雪香さんの生き方に学ぶ ◇

 日韓女性親善協会を設立した故・相馬雪香(そうま・ゆきか)さんの生き方から何を学ぶかをテーマにした講演会「相馬雪香さんの生き方に学ぶ―言葉の力と心の力―」が同協会の定期総会に併せ、都内の憲政記念館で行われた。講師は相馬さんと共に活動をしてきた、尾崎行雄記念財団の石田尊昭事務局長(39)。当日の講演要旨を紹介する。

 早いもので相馬雪香さんが亡くなって今年で3回忌を迎えます。

 私と相馬さんは12年間にわたってお付き合いさせていただきました。私が相馬さんと初めて出会った時、相馬さんは84歳、私は24歳、その差は60年。しかし、大学院を出たばかりの若造に初めて会ったその日から何の先入観も持たずに私に正面からぶつかってきてくださいました。これが相馬雪香さんの姿です。

 そんな相馬雪香さんの信念は何だったのでしょうか。それは一人ひとりが大切にされる世界。そして一人ひとりが当事者として参加していく社会や政治、それを実現することが日本が良くなる道だという考えです。そして、困った時にはお互い様ということです。それは日本に限ったことではなく、海外で困っている人がいれば、当然日本人にも温かい気持ちはあるのですから、助けたいと思い、できることから始めようじゃないか、というのが相馬さんの生き方、信念でした。

 そして批判精神。権力に溺れない、あの人が言ったから正しいと思う。そういう思考は良くない。自分自身が良心のふるいにかけて、何が正しいか正しくないかを判断しなさいということを相馬さんは常に言い続けていました。

 また、相馬さんは、常に世界の中の日本ということを言い続けてきました。1978年、当時の日韓関係は今ほど交流がなく、非常に難しい時代で、男性に言っても相手にされませんでした。ならば、女性だけでも、できることから始めようとスタートしたのが、まさに日韓女性親善協会でした。日本と韓国、身近な隣同士なのに、まだまだ市民レベルでは理解が足りない。だったら友好親善をできる人が、大切だと思った人から声を上げて、自分たちでやっていこうと始まったのです。これが、相馬さんが言う世界視野なのです。

◇ 定着した児童作品交流 ◇

 今年の児童作品交流は、12月14日から18日まで東京・四谷の韓国文化院で開かれ、韓国と日本の児童の絵画約250点と作文が展示される予定だ。

 この児童作品交流は、毎年リレー開催されている。まず日本の各支部で募集した作品をソウルの韓日女性親善協会へ送り、駐韓日本大使館の広報文化院シルクギャラリーで開催され、ついで日本の福岡支部に送られて開催される。その後、関西支部、そして東京の韓国文化院で開催。年明けに栃木県の10校で開催して1年に及ぶ韓国と日本の巡回展を終える。

 いま各支部では作品募集の最後の追い込みをかけている。

 関西支部(西端春枝会長)では、230点ほどの作品を集めたという。展示会は、10月に大阪市大江小学校で運動会に併せて開催する予定。栃木支部(青木和子会長)は、今月末ごろに作品を集める予定。作品集を県内の出展10校に配布したところ好評だったという。

 また、福岡支部(永山紘子会長)は、いつも1000点ぐらいの作品が集まるが、昨年から学習指導要領が変わって、総合的なものや学術的な時間が少なくなり、募集をかけるのが厳しくなっているとの声が出ており、対策が必要になっているとのことだ。

 児童作品交流を担当している小坂泰子理事は、「子どもたちの作品交流が30年余りも継続していることや協会の活動を伝えていきたい」として、「児童作品交流展に参加する子供たちは、それぞれの国の会場で、両国の展示作品を同時に見て、それぞれの国を想像したり、生活の違いを知るのですが、将来は、「作品」をたずさえて、実際に自分の目と心で知る、お母さんたちと同じように相互交流ができたらと考えております。そしてこの児童作品交流が、一番身近にある学生交流に引き継がれて、両国の相互理解と友情を深めて、「お隣同士の友だち」というおつきあいになることを期待します」と語った。