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2010/06/25

<トピックス>再訪・居酒屋経営の現場で                                                       同志社大学大学院 林 廣茂 教授

  • 同志社大学大学院 林 廣茂 教授

    はやし・ひろしげ 1940年韓国生まれ。同志社大学法学部卒。インディアナ大学経営大学院MBA(経営学修士)課程修了。法政大学大学院経営学博士課程満了。長年、外資系マーケティング・コンサルティング会社に従事。滋賀大学教授を経て、同志社大学大学院ビジネス研究科教授。日韓マーケティングフォーラム共同代表理事。著書に「日韓企業戦争」など多数。

 韓国で味付け、材料、見映え、接客の仕方など、すべてが揃った本格的な日本料理を口にするのは難しい。そんな中、日本式を頑なに守りながらも独自の「顧客マネジメント」で9割以上が韓国人客で連日賑わっている日本式居酒屋がソウルにある。「再訪・居酒屋経営の現場から」と題し、同志社大学大学院ビジネス研究科の林廣茂教授に文章を寄せていただいた。

 ソウル・南営洞の日本式居酒屋「TKS(仮名)」に半年振りに立ち寄って、タコのから揚げやいわしのヘシコに薩摩焼酎、そしておにぎりでしめた。私1人、しっかり飲んで食べて6~7万ウォンですむ。

 当コラム14(08年11月)に登場してもらった店で、料理の「形」も(味付け、材料、見映えなど)、「心」も(接待の仕方、亭主の心づくしなど)日本式を変えない。こてこて亭主・N川さんの料理とサービスの心意気はますます健在だ。当地で人気の高い店の一つで、ほとんど連日満員。この店がソウルの日本式居酒屋のビジネス・モデルを刷新したと評判だ。

 その晩も酒の相手をしてもらいながら、最近の客かたぎ論議に花が咲いた。最近では客の9割以上が韓国人で、日本人はほんの僅か。「日本人が少なく、営業上は大変ありがたい客層です。でも所変われば人も変わるで、韓国人のお客対応はなまなかにはいきません」。そう言いながら、「客のマネジメント」を結構楽しんでいる風だった。私は声には出さなかったけれど、「以前なら、気に入らない客には金ももらわないで帰ってくれと追い出しては、社長の奥さんともめたりしていたはずなのに」と思い出した。

 「こんな一見さんの客がかなりくるようになりました。ちっとは人に知られる店になったおかげでしょうか」と最初に切り出した話。

 「テーブルに着くなり、『この店で一番高い酒をくれ』なんです」。銘柄指定はもちろん、日本酒か焼酎かの区分もない。「うちでは日本酒720㍉㍑で20万ウォンが最上ですが」と言うと、「それでいい」の一言返事が返ってくる。

 N川さんは密かにつぶやく、「良い酒にほれ込んで飲んだほうがよほどうまいのに」「その客は、一緒に来た人たちとあっさりと4本を空け、百数十万ウォンを使って帰った。チップも弾んでくれた。その後も思い出したようにやってくる」。私は80年代のバブル経済の時期に日本でよく聞いた話だな、と思いだしていた。中には、日本でならとんでもない・ちょっと有りえない、としか言いようがない客がきた。「ベンツで乗りつけて、25人くらいも入れば満員になるこの店の中を、入ってくるなりぐるりと見回して、『奥のすみの座敷テーブルで飲みたい』と宣言したのです」。そこは別のグループ4人が予約で陣取っていて楽しく酒盛りの真っ最中だ。「?」N川さんは瞬間何のことやら分からなかった。その人は、「金は幾らでもだす、この店の一番良い席で飲みたい。そこの客をどかせてくれ」と要求した。

 N川さんは、驚くやら呆れるやらで、それでも最近は慣れたもので物おじすることもなく、「あなたは今入ってきたばかりのお客さん、あの席では既に先客が楽しんでいる。どちらにも公平にサービスするのがこの店の方針です。それが受け入れてもらえないなら、どうか他の店にお行きになってください」。

 くだんの客が言った。

 「俺は今日はこの店で飲みたい」。そしてあっさりと、予約してあったテーブルに連れと一緒に座り込み、しっかりと飲みかつ食べて帰っていった。「亭主の怒る迫力が気に入った」と言って、その後ちょこちょこ来てくれる馴染み客の一人になっている。

 「先生、うちの料理に赤ワインが合うと思いますか?」。突然たずねられた。私はとっさに、合わない、と答えようとしたが、思い直して言った。「う~ん、トンカツとか牡蠣フライなら赤ワインもいいかな。天ぷらや刺身なら白ワインを飲んでもいいかな」。

 N川さんが今度ワインも売りたがっているのかと先走りしたのである。
 
 「いやね、先日『酒の持込をしてもいいか』と言う予約客がいたので、気楽にいいですよと答えたのです。するとなんと10人前後が2階の席に上がり、赤ワイン20本持ち込んだのですよ。それでどんちゃん騒ぎで、他の客が逃げ帰る始末ですよ」。さすがにN川さんは、そのグループにしかるべく持ち込み料を要求した。

 「料理はじゃんじゃん注文しているからいいと考えているのでしょうが、居酒屋はやはり酒と料理の両方を売っていて、とくに酒を飲んでもらって儲かる仕組みになっているのですよ。酒は全く売れず、持ち込みワインで酔っ払ってもらっては、場所貸ししている商売じゃないから…。私ははっきりと、持込料をいただきました」。居酒屋でワインも、「そんな店が東京に増えていると聞いているよ」と私。「客層に若い女性が増えるかもね」

 札束を切るように従業員にチップを渡して、他の客よりも優先サービスを要求する客もいる。「私のところは、チップを個人の収入にしないで、皆で旅行とかイベントを楽しむための積立金にしています。もちろん会社の福利厚生費も出ますけど。チップをもらえば、従業員は厨房に無理をいったり、他の従業員との軋轢をうんだり、その副作用が大きい。チップはもちろん、ありがたいのですが」「ですから、チップ収入を当てにして応募する人は採用しません」

 アメリカなら、給料分を低く抑えてチップで稼がせる店が普通だが、N川さんには合わない。店を中心にしたファミリー的経営が彼の哲学だ。

 これまでとは全く真逆の2人連れ客がいる。来るたびに2人で100万ウォン使ってくれる大切なお客だ。「予約をもらい、その時点で空いているテーブルを押さえる。奥のテーブルだったり、人通りが多い入り口に近い場所だったりする。でも、いつでもどこでも、2人で楽しそうに語らいながら、酒と料理のピッチが弾む。ありがたいお客で、ほんとに頭が下がります」。日本人亭主が文化適応し、韓国人のお客をマネジして、TKSはますます大繁盛している。日本人客の影はますます薄くなる。