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2010/10/01

<トピックス>クール・ジャパンVSクール・コリア                                                       同志社大学大学院 林 廣茂 教授

  • 同志社大学大学院 林 廣茂 教授

    はやし・ひろしげ 1940年韓国生まれ。同志社大学法学部卒。インディアナ大学経営大学院MBA(経営学修士)課程修了。法政大学大学院経営学博士課程満了。長年、外資系マーケティング・コンサルティング会社に従事。滋賀大学教授を経て、同志社大学大学院ビジネス研究科教授。日韓マーケティングフォーラム共同代表理事。著書に「日韓企業戦争」など多数。

◆食のグローバル化への視点◆

 この夏、フランスとイタリアで2週間を過ごした。その折に私の中に、あるイメージがしっかりと形象された。直接この眼で見た「文明商品」の薄型テレビにおける韓国勢の圧倒的な強さと、心と舌で味わった「文化商品」である日本食の美味しさと人気の高さだ。

 薄型テレビでは、シェア・データで得た知識と、自分の五感でまざまざと確認した事実との違い、そのインパクトが大きかった。「韓国勢強し」が「ずしん」と私の中で打ち響いた。韓国勢(サムスンとLG)は09年、全世界で37%のシェアで日本勢を越えた。欧州では、フランス55%、イタリア55%、イギリス40%、ドイツ30%など日本勢を圧倒した。

 現地で直接観た韓国勢は、パリやローマの家電量販店の展示スペースのシェアで優に80%を超えていた。空港のパネル広告やテレビは、サムスンかLG製だった。イタリア鉄道では、北部の小さな駅・アスティをはじめ、途中のボローニアやフィレンツェ、終着のローマ駅のホームや構内にある夥しい数のテレビは、私が見た限り、全てLG製だった。

 典型的な文明商品・テレビは、その機能や性能、デザイン、価格などの客観的な評価にイメージが統合されて、ブランド競争力を発揮する。そのブランド競争力でサムスンとLGが日本勢を引き離したのだ。なのに、「韓国の顔」が見えないままである。

 韓国勢が優勢なアメリカで、大学生たちの90%がサムスンやLGを日本の会社だと思っているという(マッキンゼー報告)。欧州のデータはないが、似たり寄ったりではないだろうか。かつての日本がそうだった。欧米で「日本は顔の見えない国」だった。ソニーやトヨタが強いブランド力を発揮して洪水のように輸出していたが、その母国である日本はどんな国で、どんな「らしさ、ならでは」の文化を持っているのか、欧米の人たちは全くイメージできなかった。だから今、韓国の「顔」が見えないとしても不思議ではない。

 食は、まさにその国・民族の「らしさ、ならでは」の顔であり、文化大使である。「こころ(店の雰囲気やサービスの日本らしさ、ならでは)」と「かたち(味、調理、盛りつけ、色あいなどの日本らしさ、ならでは)」に文化が具現化されている。

 食べる場所、食事そのもの、食べる作法のすべてに、「らしさ、ならでは」の歴史や文化が深く宿っている。

 だから、日本食が好きな人たちは、日本の顔を見分けることができ、「歴史や文化のソフトパワー=文化への共感」と「経済や技術の先進性=文明へのポジティブな評価」を持っている人たちだと言えるだろう。

 海外での日本食レストランは約2万5000軒あり、さらに増加中だ。その9割近くは、地元の人たちや中国系、韓国系の人たちが経営している。「クール・ジャパン現象」と言われる、日本文化への共感や日本文明への評価が深く広く拡大するにつれて、日本食の人気が急上昇して、日系以外の人たちにも大きなビジネスチャンスを提供しているわけである。

 パリの日本食レストラン約600軒のうち、いわゆる正統と言われる店は50軒で、日本人の経営である。ローマでは絶対数が少なく60軒で、日本人の経営は6軒くらいという。今回は、両方であえて日本人が経営する店で食事をした。

 ともにサービスは「日本のこころ」を前面に打ち出しているが、パリではそれでいて内装はフランスに適応した雰囲気があり、ローマの店は、内装は黒を基調にし、かの有名デザイナーが設計したのではと思うほどイタリア調だった。食事は両店とも、「日本のかたち」をしっかりと保っている正統日本料理と、料理そのものや盛りつけ、ソースやドレッシングなどで、フランス料理やイタリア料理の「かたち」を取り入れているものが両立していた。

 そして客層は、地元の人たちが大多数で、その人たちにとって、「日本食を楽しむこと」は「日本文化の通である」ことと同義に近い。かなり高いプレステージな位置づけである。

 私は、日本料理の「真贋論争」に関心がなく、日本食のグローバル化とは、「日本のこころとかたち」を守りつつ、地元の人たちの好みに合わせて適応して、地元の人たちに愛されることだと思っている。日本人以外の経営も大歓迎だ。私自身が日本では、日本人経営の店で、明太子スパゲティやヘムルタン(海鮮鍋)を楽しんでいる。

 韓国食が大好きな私は、ローマでグレードが高い韓国食レストランを訪ねた。伝統文化を再現した内装で、韓国人が故国の風情を味わえるオアシスだ。経営者は韓国人で、客層は殆んど韓国人だった。

 私は食べなれた料理を注文した。ブルコギ、トミクイ(鯛焼き)、テンジャンチゲ、そしてチャミスル焼酎も。料理の「こころとかたち」においても、韓国が再現されていた。ソウルに比べると、味はもの足りなかったが、食材やその鮮度の違いと思い不満はなかった。

 気付いたのは、私のような韓国料理ファンの少数派ではなく、大多数の地元の人たちが美味しく、楽しく食べられる「こころとかたち」、韓国の特性と現地適応化のバランスがとれていないことである。

 これでは地元の人たちは入り辛いだろう。「韓国らしい、ならでは」と「地元らしい、ならでは」のバランスを持った韓国食レストランに進化する必要があるだろう。

 これと同時に、「クール・コリア」が世界に浸透するよう、国家を挙げて「らしい、ならでは」の文化に対する共感と文明への評価を高めることが必要だろう。

 そうなれば、300万人の韓国系が住むアメリカや、家電・自動車などのブランド力が強い欧州で、まだまだ少ない韓国料理のファンが増えることだろう。食のグローバル化に近道はない。急がば回れ、である。