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2011/01/28

<トピックス>「私の韓国・朝鮮研究40年」 小此木政夫・慶大教授が最終講義

  • 小此木政夫・慶大教授が最終講義

    おこのぎ・まさお 1945年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。85年に同大学教授、2005年から07年まで法学部長。09年設立の慶応義塾現代韓国研究センター初代センター長。今年4月から韓国の東西大学、日本の杏林大学で特任教授。

 韓半島の政治外交研究の日本における第一人者である小此木政夫・慶應義塾大学法学部教授が、3月の定年退職を前に最後の講義を行った。テーマは「私の韓国・朝鮮研究40年」。同研究に携わったきっかけや韓国留学での話など長年の研究生活を振り返るとともに、今後の韓日関係についても提言した。

 私が朝鮮半島研究に携わるようになったきっかけは、大学3年のときに中国研究者だった故石川忠雄先生のゼミに入ったことだ。石川先生は独特の指導をする方で、大学3年のときに卒論のテーマを決めさせられた。

 そのとき「朝鮮戦争への中国参戦の問題を研究してみたい」と言った。それが「朝鮮」という言葉が私の人生の中に最初に入ってきたときで、そこから私の研究生活がスタートした。

 それから、中国介入の背後にある中国とソ連の関係に関心を持ち始め、北朝鮮に対する研究も同時に行った。今流に言うと、北京、モスクワ、平壌の三者がどうなっているのかを研究した。

 しかし、当時は社会科学として韓国・朝鮮に関する問題を研究している人はいなかった。それで独学で研究し、大学院に進学しようと思ったときに転機が訪れた。

 それは、石川先生から朝鮮半島研究を強く勧められた言葉だった。

 「弟子はみんな中国研究をやっているが、朝鮮半島研究をやっている学生がいない。朝鮮半島問題は日本や慶應義塾の将来にとっても、大変に重要な問題だ。君が研究してみなさい」

 その言葉にとても感激したのを今でも覚えている。そして1972年8月から韓国の延世大学に2年間留学した。しかし当時、韓国留学は周囲に理解されなかった。アジア留学というのが珍しかった時代で、周囲からは「なぜ韓国なのか」と言われた。当時、留学というのは先進国、つまり欧米が当たり前だと思われていた。ある種のアジア軽視ともとれる風潮があった。

 留学した72年から74年の韓国は、政治的にも激動の時期だった。72年10月に朴正熙大統領が非常戒厳令を発令。73年には軍事政権が強化された。それに反対する金大中(キム・デジュン)氏が海外で運動を展開し、73年に金大中氏の拉致事件が起こった。さらには新憲法が制定されて、それに反対する学生たちが一斉に逮捕された。当時の朴政権には、憲法を停止する権限が憲法で保障されるという大変な状況にあった。

 朴政権誕生から7年後、側近の手で朴正熙大統領は暗殺された。そういったことが、72年から74年の間に繰り返し起こり、それを研究者として経験できたことは大変なメリットだった。

 日常生活では大学の先生の家で下宿させてもらった。友人もできたし、庶民がとても好きだった。韓国人はインテリよりも庶民のほうがいいと、当時はよく思っていたものだ。韓国を離れるときに感じたのは、韓国の人間関係はとても情が深いということ。「どんな国?」と聞かれると、かならず「タジョン(多情)な国」と言う。笑い話だが、日本に帰ると半分以上、韓国人のようになっていて、日本に適応するのが難しいと感じることが多くなっていた。

 将来的に韓国が日本を好きになることはあっても、日本人が韓国を好きになることはないと思っていた。周囲は韓国が嫌いな人が多かったし、私は異邦人なのかなと思ったりもした。

 それが二十数年後には、韓流ブームが起こり、周りの人たちは韓国をどんどん好きになっている。私の予想がまったく外れたわけだ。それはそれで大変うれしい驚きで、孤独感から解放された気持ちだった。

 日本に戻ったあとも研究を続け、学会やセミナーで研究成果を発表する機会を得ることで、ようやく朝鮮研究の第一人者であると認められたと感じた。

 余談だが、終戦後の1946年、在韓米軍の最終的な撤退についてこういった話がある。国務省の関係者たちは一個連隊だけでも残せと主張したが、一つも残さなくていいと言ったのがマッカーサーだった。彼は極端な戦争介入者になっていくのだが、今でもマッカーサーが韓国を守った恩人であるかのような印象が韓国内にある。だが、それは間違いだ。そもそもマッカーサーが撤退させなければ、戦争は起きなかった。

 そういった事例を含め、朝鮮戦争が勃発する過程で、どのような政策決定がなされたのかをたくさん研究した。

 韓国は87年から民主化の激動の時代だった。この年、選挙で大統領を選ぶという国民の意思が明確に示された。

 軍の政治からの撤退、つまり大統領選挙を国民投票によって実現するかどうか。それとも軍がもう一度政治に再加入していくのかどうか。これこそが、この時に問われていた最大の問題だったが、流血の事態を招くことなく選挙を実施した。

 実際に民主化闘争という観点から見れば、独裁政権に最も反対していたのは金大中氏であることは間違いないが、選挙による民主化革命の観点から見ると、盧泰愚(ノ・テウ)、金永三(キム・ヨンサム)大統領の時代にそういうプロセスをとったことは、大変重要だったと思う。それができなければ、今の韓国はなかったはずだ。私は、民主主義の定着が金永三時代になされたと思う。彼が軍の粛清を断行し、再び軍が介入しないようにした役割が大きかったからだ。

 もちろん、現在の韓日交流活性化や両国の経済発展は、金大中大統領の功績が大きい。日本への大衆文化開放もその一つで、それがなければ今の韓流ブームもなかった。

 将来の日韓関係に関しては最近、「双子国家論」について語っている。両国は同じような産業構造を持ち、民主的で人権が尊重される国という同じ価値観を持っている。文化的な水準も高い。

 そんな両国が競いあいながらも、対外的には協力してくことが必要だろう。過去の歴史を忘れることなく、切磋琢磨して力を合わせて世界に貢献するというのが望ましい姿だ。

 今後は残された宿題について研究していく。それは南北統一の問題だ。私が生きているうちに統一が達成されるのかわからないが、深く研究していきたい。

 これから朝鮮半島の統一に関して、日本人がどのような態度を取ったのか、それに対してどれほど貢献ができたのかによって、日韓関係は画期的に改善するだろう。


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