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2012/06/22

<トピックス>切手に描かれたソウル 第23回 「Nソウルタワー」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第23回 「Nソウルタワー」

                     Nソウルタワー

◆71年に完成・80年展望台公開、ソウル市一望の人気スポット◆

 先月22日、高さ634メートル、世界一の高さを誇る電波塔として、東京スカイツリーが開業した。

 これに対抗すべく、韓国でも2015年5月の完工を目指して、最上階を展望台とする高さ640メートルのソウルDMCランドマーク・ビルディングを麻浦区上岩洞に建設する計画が進められ、2009年には工事が始まった。

 ところが、事業者のソウルライトタワーが、ソウル市当局との間で事業計画変更や土地使用料金未払いなどのトラブルを起こしたため、ことし6月1日、ソウル市はビル用地の売買契約を解除。計画は暗礁に乗り上げている。となると、当分の間、最も高い場所からソウルを見下ろす展望台としては、南山のNソウルタワーの地位が揺らぐことはなさそうだ。

 Nソウルタワーは、もともとは、ソウル首都圏一帯のTV・ラジオ放送電波を送る総合電波塔として1965年に起工され、1971年に完成した。KBS、MBC、TBCのテレビ電波の送信を開始したのは、翌1972年のことで、1975年には展望台も完成した。

 ただし、当初は純然たる電波塔として利用され、展望台が一般に公開されることはなかった。タワーの展望台からは、天気が良ければ、仁川はおろか、北朝鮮の開城にある松岳山まで見渡せることを考えると、そうした施設を一般に公開することに国防・治安の面で不安があったためであろう。

 実際、タワー建設途中の1968年には青瓦台襲撃未遂事件が起きており、完成後の1972年に始まる維新体制下では、民主化運動が厳しく制限されるなど、当時の朴正熙政権は治安の維持に神経をとがらせていたということを忘れてはならない。

 展望台の一般公開が始まったのは、全斗煥政権下の1980年10月のことで、一般的には、これをもって“ソウルタワー”の開館とされている。

 タワーの高さは236・7㍍だが、高さ243㍍の南山の頂上付近に立っているため、海抜からの高さは479・7㍍になる。ちなみに、展望台の海抜は378・7㍍である。

 かつて、韓国一高い建物として有名になった汝矣島の63ビル(旧大韓生命63ビル)は高さ239・7㍍、現在、韓国一高い北東アジア貿易タワーの高さが305㍍だから、海抜からの高さでは、タワーに遠く及ばない。

 開館と同時に、タワーはソウル市内を一望できる観光地として人気を集め、開館翌年の1981年9月28日には、鬱陵島とともに、「世界観光の日」の記念切手にも取り上げられたのを皮切りに、以後、ソウルの風景を取り上げた切手には、しばしばタワーが取り上げられている。

 年間の来場者数は、ほぼ100万人で推移しており、1991年に来場者が1000万人を突破、2001年には来場者が2000万人を突破した。この間、2000年には、所有権がニュース専門テレビ局YTNに移転している。

 その後、開館から25年となる2005年には、施設の老朽化などから全面改修が行われ、同年12月、現在のNソウルタワーの名前でリニューアル・オープンとなった。ちなみに、Nの文字をつけたのは、NEWと南山にちなんでいるという。

 リニューアル後のタワーの見所の一つが、最新の発光ダイオード技術によるライトアップで、サーチライト6台を利用したイルミネーションは、“ソウルの花”とも称されているという。

 ちょうど、7月1日まで、ソウル大公園では韓国最大規模、約300種類、数千万本の“バラ祭り”が開かれていることだし、日中は地上のバラの花を愛で、夜は南山で光の花を楽しむというのも悪くはなかろう。