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2013/01/25

<トピックス>切手に描かれたソウル 第30回 「江西大墓四神図」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第30回 「江西大墓四神図」

    「江西大墓四神図」の中の「玄武」の切手

◆ユネスコ世界遺産登録の高句麗遺跡◆

 いまさら「おめでとうございます」とは言いづらい日付になってしまったが、ともかくも2013年最初の本連載なので、干支にちなんでヘビの話題を取り上げてみよう。

 朝鮮半島の文化的な伝統では業(その家に幸運をもたらす人や動物)の代表的な存在として大蛇が挙げられるほか、かつての済州島では七星神と呼ばれるヘビ神信仰が民間に深く浸透していたことが知られている。しかしながら、その姿のゆえに、一般の日常生活では敬遠され、ネガティブなイメージで語られることも多いため、年賀切手を除くと韓国ではほとんど切手に取り上げられたことはない。

 そこで、少し発想を変えて探してみたら、高句麗時代の遺跡として有名な江西大墓四神図(四神は東西南北をつかさどる神獣の青龍・白虎・朱雀・玄武)のうちの玄武を取り上げた切手が北朝鮮で1975年に発行されていたことを思い出した。残念ながら、この四神図の切手は韓国では発行されていないが…。

 周知のように、高句麗 (紀元前37年~668年)は、鴨緑江中流で建国され、おおむね、現在の中国東北部(満洲)の南部から朝鮮半島中部までを支配し、最盛期には朝鮮半島の大部分を版図としていた。

 西暦5世紀から滅亡までは平壌を王都としていたこともあって、現在の北朝鮮の平壌市と南浦市の周辺には高句麗後期の遺跡も多く、それらは、“高句麗古墳群”として2004年には中国東北部の“高句麗前期の都城と古墳”とともにユネスコの世界遺産に登録されている。

 このうち、高句麗墓壁画の最高峰とされているのが、南浦市にある江西大墓の壁画だ。

 江西大墓は、平壌から車で1時間半の平安南道江西郡にあり、これに寄り添うように並ぶ中墓と小墓をあわせて江西三墓と総称されることもある。

 大墓は直径51㍍の大型円墳で、 玄室は一辺3・1㍍の花崗岩を積み上げた正方形で、590年に没した平原王が埋葬されていたと考えられている。

 壁画は石の表面に直接描かれ、漆喰は用いられていない。このうち、四神図は東西南北の壁一面に、写実性の高い描写で大きくダイナミックに描かれており、高句麗後期絵画の傑作として名高い。わが国でキトラ古墳が発見された時には、両者の壁画の類似性から、一時期、日本のマスコミでもさかんに紹介されたから、ご記憶の方も多いかもしれない。

 さて、江西大墓の壁画が文化遺産として広く人々に知られるようになったのは、大韓帝国時代の1900年頃のことで、日本統治時代の1912年から本格的な内部調査と壁画の模写制作が行われた。

 この模写図は、現在、ソウルの国立中央博物館に収蔵されており、脚の長い亀にヘビが巻きついた姿の玄武の図も見ることができる。

 なお、朝鮮総督府博物館からの依頼を受けて模写を担当した東京美術学校の小場恒吉と太田福蔵は、当時の壁画の状態を忠実に(すなわち、損傷しているところは損傷した状態のまま)に、実物大の模写図を制作した。この結果、模写図は、芸術性のみならず史料的な価値も非常に高いものとなっている。

 現在、北朝鮮国内にあるオリジナルの古墳壁画の劣化は相当に深刻化しているそうだ。

 そういう話を聞くと、壁画の正確かつ緻密な模写をソウルにも残してくれた2人の日本人画家のことを、同じ日本人の一人として大いに誇らしく思う。