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2013/10/25

<トピックス>切手に描かれたソウル 第38回 「国産ヘリコプター」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 切手に描かれたソウル 第38回 「国産ヘリコプター」

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第38回 「国産ヘリコプター」②

    81年9月に発行された「模型飛行機大会」記念切手

◆20機を陸軍配備・今年3月に「スリオン」開発◆

 先週の16日から、民間航空運送事業者ブルーエアラインが、ソウルの漢江と汝矣島、江南一帯をヘリコプターに乗って回るソウルヘリコプターツアーを始めたという。

 そういえば、今年3月には韓国初の国産機動ヘリコプター「スリオン」の開発が完了し、5月には第一陣の20機が陸軍に配備されたという報道もあったことだし、ソウルの上空を飛ぶヘリコプターの切手がないかと思って探してみたところ、こんな1枚を見つけた。

 この切手は、1981年9月20日に発行された「模型飛行機大会」の記念切手の1枚で、無線操縦のヘリコプターが取り上げられている。

 韓国で模型飛行機を作って楽しむ趣味が一般に普及したのは日本統治時代のことで、解放後も各地で小規模な大会が開催されていた。

 1948年の建国以来、韓国で使われていた航空機は、軍民問わず、すべて輸入品で賄う時代が長く続いていた。このため、国産機を製造し、航空産業を自立させることは国家としての悲願となっており、その第一歩として、政府は模型飛行機の趣味を奨励。航空機に対する国民の関心と知識を高め、航空機に関心を持った少年たちの中から、将来的に本物の飛行機を作れる技術者を育成しようと考えた。

 こうしたことから、1979年、韓国空軍は、各地のローカル大会を統合し、全国規模の第1回模型飛行機大会を開催。以後、毎年、大会を開催している。

 1999年、国防科学研究所の設計による国産初の初等練習機、KT-1“雄飛”の量産が開始され、2005年には韓国航空宇宙産業(KAI)とロッキード・マーティンによる共同開発の準国産の練習機T-50の運用が開始されたが、その開発に携わったスタッフの多くがかつて、模型飛行機の製造と操作に熱中した少年たちだったことは見逃してはなるまい。

 さて、今回ご紹介の切手は、空軍主催の第3回模型飛行機(全国)大会の周知宣伝のために発行された。大会は、グライダー(手投げの模型飛行機)部門、ゴム動力部門、有線操縦部門、無線操縦(いわゆる“ラジコン”)部門に分けて争われたが、記念切手はそれら4種の模型飛行機に加えて、今回ご紹介の無線操縦のヘリコプターを加えた5種セットの構成である。

 ところで、この時の大会は、韓国空軍士官学校のキャンパスで開催された。

 現在、韓国空軍士官学校は忠清北道の清原郡(西隣が世宗特別市、南隣が大田広域市)にあるが、1985年にこの地に移転するまでは、ソウル市内の冠岳山に面した大方洞にキャンパスを構えていた。

 ちなみに、韓国空軍士官学校は、もともと、1949年にソウル郊外の金浦市に航空士官学校として創設されたが、翌年、韓国戦争が勃発したことで、済州に移転。さらに、戦争中の1951年には海軍の軍港で知られる鎭海に移転し、1958年にソウルに移転した。

 移転当時、所在地の大方洞は永登浦区の一部だったが、1973年には新設の冠岳区に編入された。ちなみに、朴正熙大統領が航空士官学校の愛称を“星武台”と命名したのは、1966年4月11日のことである。

 したがって、切手のヘリコプターは、冠岳山を臨むソウル南部の空を飛んでいる図ということになる。先日運航が開始されたソウル上空の遊覧飛行からも、その周囲を見下ろす景観が楽しめるはずだ。