ここから本文です

2015/12/18

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第20回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆1902年、木浦領事館領事に赴任 海底電線を木浦まで施設へ◆

 若松兎三郎領事は1902年7月より満5年間、木浦で勤務した。1897年に開港した木浦は港として4番目に開港した由緒ある港町である。各地から商人たちが集まり、日本からの移住者も増加した。日本政府は木浦港に注目し、木浦領事館を設置した。

 若松兎三郎は第3代日本国木浦領事館領事として赴任した。当時木浦には1045名の日本人が居住していた。その後、日本人移住者は急速に増加し、1936年には8885名に達した。国内各地から商人や労働者たちが木浦港に集合し、人口は6万人を超え、朝鮮半島有数の港となった。


つづきは本紙へ