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2015/02/20

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第2回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

  • 明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第2回

                    若き日の若松兎三郎

◆京城公使館で外交官生活開始、礼儀作法と政治哲学を学ぶ◆

 若松兎三郎は、1896年2月に実施された文官高等試験外交科(外交官及び領事館試験)に東京帝国大学法学部在学中に首席で合格した。合格者は2人。同年9月試験に4人合格し、その中に東大法学部を1年前に卒業した幣原喜重郎がいた。幣原は外務大臣、総理大臣、衆議院議長を歴任した大物政治家だ。

 若松は大学を中退し、同年3月、京城公使館補に任命され、外交官としてスタートした。幣原は9月に仁川領事館補に赴任した。若松が一足先に任官したため外交官としては先輩である。

 若松は横浜港から乗船して瀬戸内海、玄界灘を渡って仁川港に到着した。日本と変わらない沿路の朝鮮の山野を見ると、なんとなく親近感を感じた。山や川を眺めながら、九州大分県の田舎で見たような風景を思い出した。


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