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2015/03/13

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第5回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆1904年、木浦で綿栽培を開始 高下島を平和と共生の象徴に◆

 若松兎三郎領事は、木浦地方の風土および気候が米国種陸地綿栽培に好適であるという酒匂農務局長の判断に、心強さを感じた。胸が躍るほどの感激であった。日本で栽培できない陸地綿を韓国で栽培できれば、韓国の綿作改良によって産業の発展に役立つと共に、輸入に依存していた日本の紡績業界への原綿供給が可能である。日韓両国が共に利益を得られる一挙両得の策となる。外交官としてもやりがいのある仕事であった。

 若松領事は、韓国南部地方における陸地綿の栽培の可能性について外務省に具申すると共に、民間有志に対しても綿作の必要性を説いた。しかし、外務省は元より若松の意見に賛同する人は表れなかった。それでも若松は諦めず辛抱強く緻密な作戦を練って、一歩ずつ進めた。陸地綿栽培のカギは気象条件である。木浦地方の気象関係を丹念に調査した。外務省に報告した1903年の1年間の天候記録は、「晴264日、雲60日、雨36日、雪6日」。


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