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2015/05/01

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第55回 子どもの日                                                   郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第55回 子どもの日

       1949年5月5日に発行された「第20回こどもの日」記念切手

◆日本と同じ5月5日、子供の社会的地位向上の機会に◆

 5月5日は日韓両国ともに「こどもの日」である。現在の韓国語では、「こどもの日」は「オリニナル」というが、ここで「こども」を意味する「オリニ」の語については、若干の説明が必要であろう。朝鮮半島の伝統では、子供は〝児孩(アへ)〟または〝童蒙(ドンモン)〟と呼ばれ、一人前の人格とは認められていなかった。これに対して、朝鮮児童文学の祖とされる方定煥は、子供を呼ぶ言葉として〝嬢鍵戚(オリニ)〟の語を考案し、子供の人格を尊重するよう主張した。

 方定煥は1899年、ソウルで商人の家に生まれた。8歳の時、父の事業の失敗で生家が破産。貧困の中で、1914年、家計を助けるために善隣商業学校に入学して商業を学ぶが、翌年には家庭の事情で中退を余儀なくされる。1917年、知人の紹介で天道教教祖であり独立運動家の孫秉熙の知遇を得て、その三女と結婚した。

 孫は1861年、忠清北道清原郡生まれ。1894年の甲午農民戦争(いわゆる東学党の乱)では、指導者の全琫準を助けて官軍と戦い、翌1895年に全が逮捕・処刑されると、東学運動の再建に力を注ぎ、1901年には日本に亡命。1905年に東学を天道教と改称した後、帰国した。1919年の三一独立運動に際しては、独立宣言書を朗読するなど重要な役割を果たしたが、それゆえ、逮捕されて懲役3年の判決を受け、釈放後まもなく1922年に亡くなった。


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