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2016/09/16

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第71回 韓進海運                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第71回 韓進海運

    81年、船舶シリーズ切手で紹介された韓進海運のコンテナ船「韓進ソウル号」

◆在韓米軍の輸送業務で急成長、08年世界金融危機で経営悪化◆

 8月31日、世界有数の海運会社・コンテナ運送会社の韓進海運が日本の会社更生法に相当する〝法定管理〟の手続き開始をソウル中央地裁に申請し、経営破綻に陥ったことは、各方面に深刻な影響を及ぼしている。

 韓進海運が属する韓進グループは1945年11月1日、趙重勲が仁川で設立した韓進商事から出発した。1956年には在韓米軍の輸送業務を請け負うようになり、ベトナム戦争中の1966年にはベトナムに派遣される米軍の現地での物資輸送を請け負う契約を結び、急成長を遂げた。

 その躍進ぶりに目を付けた朴正熙は、1969年、経営不振に陥っていた大韓航空公社の民営化を趙重勲に委ね、現在の大韓航空が誕生した。そして、同年11月、韓進は米国の海運会社シーランド社と、シーランドのコンテナ船のためのコンテナターミナルの運営契約を結び、翌1970年9月、釜山港にコンテナ埠頭を開業させてコンテナ業務に参入した。

 当初、韓進はシーランドをはじめとする海外の船会社の荷役作業を行っていたが、1977年には、韓進コンテナラインズを設立して、自らも海運業へと参入し、韓進グループは陸・海・空の総合物流企業となった。その後、韓進コンテナラインズは、1978年に中東航路、1979年に北米西岸航路を開設し、グローバル海運会社に成長する。

 1981年5月10日に発行された〝船舶シリーズ〟の切手には、その開業当時のコンテナ船〝韓進ソウル〟号が取り上げられている。なお、切手には〝コンテナ船〟としか表示されておらず、具体的な船名は記されていないが、船の形状などから、韓進ソウル号が描かれていると特定できる。

 韓進ソウル号は、現代重工業の蔚山造船所で1977年12月15日に起工し、翌1978年12月24日に進水した。完成して、韓進側に引き渡されたのは1979年2月15日のことである。全長201㍍、幅24㍍で、総トン数は1万7088㌧、載貨重量トン数は1万8835㌧。

 ソウル五輪が開催された1988年、韓進コンテナラインズは、大韓商船を合併して現在の韓進海運が誕生。これにより、韓進は、名実ともに韓国海運業の頂点に立った。

 韓国の海運業は、1948年の大韓民国独立に伴い、米軍政下で接収された旧日本船と米国から無償供与・貸与された船舶をもとに、国営事業としてスタートした。

 1950年1月、韓国政府は海運民営化の方針を決定し、特別法により大韓海運公社(大韓船洲)を設立し、公社が政府保有船をひきとる形式となったが、公社の株式の97%は韓国政府が直接・間接に保有していたので、事実上の国営体制に変化はなかった。

 その後、韓進が本格的な海運業に参入するまで、韓国の海運事業は公社による事実上の独占体制が続いていたが、さすがに、1980年代に入ると、海運業を取り巻く環境の変化もあり、公社の経営も悪化。1984年には大韓商船に改称・改組して再建を図ったが、最終的に韓進と合併したというわけである。


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