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2017/09/15

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第82回 1950年仁川上陸作戦                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第82回 1950年仁川上陸作戦

    仁川の風景印に取り上げられた仁川自由公園のマッカーサー将軍の銅像(02年版㊤と03年版)

◆政治問題化したマッカーサー将軍像◆

 本号の発行日である9月15日といえば、戦史に興味のある人間にとっては、朝鮮戦争中の1950年に仁川上陸作戦が行われた日というイメージが強い。

 仁川上陸作戦の記念碑ともいうべき、仁川自由公園のマッカーサー将軍銅像は、仁川のランドマークとして、これまでにも何度か仁川の風景印にも取り上げられている。(図版は2002年に使用されたものと2003年に使用されたもの)

 さて、銅像のある仁川自由公園は、朝鮮王朝が開国して間もない1889年頃、仁川在住の外国人のため、仁川港を見下ろす鷹凰山の高台に開設された朝鮮半島最初の西洋式公園で、当初は〝万国公園〟と呼ばれていた。しかし、日本統治時代の1916年、天照大神と明治天皇を祭神とする仁川神社が埋立地につくられ、周辺一帯の土地が〝東公園〟となったため、万国公園は〝西公園〟と改名される。

 1948年の大韓民国成立後、公園は旧称の万国公園に戻されたが、朝鮮戦争休戦後の1957年、仁川上陸作戦を記念して園内の東寄りの場所にマッカーサーの銅像を建立するとともに、現在の仁川自由公園に改称された。

 ところで、仁川のマッカーサー将軍像は、2004年頃から、一部左派勢力によって政治問題化され、韓国では困惑している国民も多いようだ。すなわち、2003年、親北・左派色が顕著な盧武鉉政権が発足。その流れを汲んで、2004年6月、仁川市が〝平和都市〟を宣言すると、同年11月、左派系市民団体の仁川連帯が〝南北を分断した戦争の張本人〟として、将軍像の撤去を要求。以後、左派系市民団体によるマッカーサー像撤去の運動が展開され、上陸作戦55周年を控えた2005年9月には、左派系市民団体、全国民衆連帯の主催の下、4000名余の参加者が自由公園内で銅像の撤去と在韓米軍の撤退等を叫び、警備の警官隊との間で乱闘事件が発生した。

 一連の銅像撤去運動に対して、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』は「反米反戦、米軍撤退闘争の炎を激しく燃え上がらせるべきだ」、「銅像を直ちに爆破せよ」との論説を掲載しており、銅像撤去を求める左派系市民団体の背後には、北朝鮮当局の影が見え隠れしている。

 当然のことながら、こうした左派系の動きに対しては韓国内の反発も強く、上陸作戦55周年当日の2005年9月15日には、韓国海兵隊戦友会が銅像前で「国家安保およびマッカーサー銅像死守決起大会」を開催し、太極旗と星条旗を振って韓米同盟の維持を訴えた。また、米国でも下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長ら5人の議員が9月15日、「米議会と米国人たちは、韓国を2度も解放した英雄を〝良民虐殺戦犯〟のようにみなすことを容認できない。仁川上陸作戦は韓米同盟の基盤であり、仁川での勝利がなかったならば、今日の韓国は存在しなかった」との内容の書簡を盧武鉉大統領に送付。韓国政府にマッカーサー像の保護を求め、それが不可能な場合には銅像の米国への引き渡すことを要請した。


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