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2017/02/10

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第75回 韓国の畜産史                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 切手に見るソウルと韓国 第75回 韓国の畜産史

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第75回 韓国の畜産史②

        73年に発行された「セマウル運動」のキャンペーン切手

◆60年代の経済成長で食肉需要高まる◆

 韓国では昨年11月以来、鳥インフルエンザが猛威を振るい、家禽類の殺処分が続けられているが、今度は今月5日、忠清北道の農場で口蹄疫が発生。さらに、100㌔以上離れた全羅北道でも口蹄疫感染の疑いが申請されたことから、農林畜産食品部は、感染が発生した農場の乳牛195頭を殺処分するとともに、6日午後6時から8日0時まで30時間、韓国国内すべての牛・豚などの移動を停止する命令を下した。

 これまでにも韓国では口蹄疫の発生はあったが、全国規模で移動停止命令が出されるのは史上初めてのことだという。

 というわけで、今回は、牛肉を中心に韓国の畜産史を簡単に振り返ってみよう。

 朝鮮王朝時代、家畜としての牛は食用というより、農耕用もしくは荷駄用が中心で、牛肉を口にできるのはごく一部の限られた上流階級のみであった。ただし、一般庶民が牛肉を食べられるのは冠婚葬祭の時ぐらいしかなかったことから、逆に、牛一頭、内臓まで余すことなく食べられる調理方法が生み出されることになる。

 日本統治時代になると、日本の影響で肉食も徐々に普及したが、それが本格化するのは朝鮮戦争以降のことである。

 その後、朴正熙政権下での経済成長に伴い食肉需要が高まったことから、1968年、「農漁村所得増大特別事業」が開始され、農民が養蚕・畜産・商品作物などを共同で展開するための補助金の支給や低利融資が開始された。70年に始まるセマウル運動でもこの方針は継続された。

 73年12月10日に発行された〝セマウル運動〟のキャンペーン切手で、牛が草を食む牧場の脇を〝漢江の奇跡〟を象徴する高速道路が通っている風景が描かれているのは、こうした事情を反映したものである。

 こうした畜産奨励の結果、農産物品目別生産額の構成中、62年に6・6%しかなかった畜産は、朴正熙政権末期の79年には17%にまで急増した。

 1980年代初頭、韓国における牛の飼養頭数は150万頭前後だったが、オリンピック景気に牽引される形で牛肉需要がさらに増加したため、韓国政府は肉牛を海外から輸入する。その結果、1985年には飼養頭数が255万頭を超えるまでに増加し、肉牛の価格も下落した。

 その後も、牛肉の消費は拡大し、牛飼養頭数も増加したが、97年の通貨危機や牛肉の輸入拡大から、国内の飼養頭数は減少に転じる。

 2010年の牛肉の輸入自由化はこうした状況の下で行われたため、国内の畜産農家に打撃を与えることが懸念されたが、国内経済の回復もあって、肉用牛飼養頭数は、01年以降は底を打ち、07年の韓牛飼養頭数は、203万4000頭にまで回復した。これは、韓牛のみの頭数データが入手できる2003年と比較すると、59・3%増、頭数にして75万7000頭の増加である。


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