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2019/05/24

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第100回 韓国の血液事業                                                          郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第100回 韓国の血液事業

    「愛の献血」キャンペーン切手(79年)

◆75年に売血禁止、軍隊で組織的献血◆

 10日付号の本紙に、献血を600回も行った「献血天使」の記事が出ていた。そこで、今回は、韓国の血液事業について、日本と比較しながら、まとめてみた。

 初期の輸血は、血液の提供者から血液を必要とする患者への直接輸血だった。第一次大戦が勃発し、多くの負傷者が生じると、直接輸血では効率が悪いため、あらかじめ保存しておいた血液を用いる間接輸血が必要となった。このため、血液にクエン酸ソーダを加えると長時間固まらないこと、クエン酸ソーダにブドウ糖を加えることで血液の保存が可能となることが研究者によって明らかにされ、現在のような輸血が可能となり、血液銀行制度が生まれる。

 しかし、第二次大戦以前の日本の医療現場では、より安価な直接輸血が行われることも多く、日本統治下の朝鮮でも事情は変わらなかった。

 その後、日本国内では、1948年、輸血による梅毒感染事故を契機として、連合軍総司令部が厚生省や東京都に対して血液銀行を設立して梅毒感染などの心配のない安全な保存血液を使用するよう指示。

 これを受けて、日本赤十字社は翌1949年から輸血事業具体化の検討を始め、1952年4月、日赤中央病院(現日赤医療センター)内に日赤血液銀行東京業務所(後の日赤東京血液銀行)が開設されて、採血、保存血液製造などの業務が始まった。

 一方、解放後の韓国では、1950年に朝鮮戦争が勃発したのを機に、米海軍が「血液銀行」制度を導入する。これは、休戦後の1954年に国立血液センターとなり、1958年には韓国赤十字社内に血液センターが設置される。

 1950年代の血液事業は、日韓ともに、「商業血液銀行」と呼ばれる民間の売血業者が中心だった。自分の血を売る人の大半は貧困層で、健康状態や衛生状態が悪く、肝炎などの感染リスクも高かったが、売血業者もそれを承知の上で血液を買い取っていた。また売血を繰り返す人の血は赤血球が薄くなり、黄色い血漿ばかりが目立つため、「黄色い血」と呼ばれることもあった。

 昨年末(18年)、日本でも公開された韓国映画『いつか家族に』(ハ・ジョンウ監督)は、休戦後まもない1953年の公州を舞台とした作品だが、売血を繰り返す主人公、サムグァンの姿は、当時の韓国では珍しいものではなかった。

 日本では、1964年に「献血推進」が閣議決定され、以後、提供者の善意による無償の献血量が飛躍的に増加したが、1990年までは血液製剤製造のための有償採漿というかたちで小規模ながら、売血も続けられていた。


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