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2005/04/08

<鳳仙花>◆今も続くBC級戦犯の叫び◆

 韓国・朝鮮人元BC級戦犯でつくる「同進会」が今年、結成50周年を迎えた。彼らは東南アジアなどで俘虜の監視業務にあたっていたために、恨みを買いやすい状況にあった。戦犯裁判が始まると日本人と区別なく訴追され、軍属・兵士ら148人が「俘虜虐待の罪」で有罪となり、23人が処刑された。

 巣鴨刑務所での不当な服役を終えて順次釈放された後も、サンフランシスコ条約による日本国籍喪失で、戦後の政府援護対象から外されるという追い打ちが待っていたのである。

 身寄りも経済的基盤もない日本社会に身一つで放り出され、生活に困窮して精神を病んだり、自殺を選ぶ仲間も出る中、「今後は一人の落伍者を出すこともなく、助け合い支え合いながら、同じく進んでいこう」という痛切な願いを込めて、「同進会」が結成された。

 会員の一人で忠清北道の貧しい小作農に生まれた朴允商さんは、1942年、28歳の時に日本の軍属とさせられ、妻と3歳の一人息子・朴一濬さんを残したまま、ジャワ、アンボン島、ジャカルタなどで俘虜監視業務にあたり、戦後懲役15年の宣告を受けた。

 その間、「おまえの夫は親日」と言われて隣人や親類からも見放され、絶望した妻は9歳になった息子を残して入水自殺を遂げた。父と息子が対面したのは別れてから25年後、息子は28歳になっていた。不幸は家族や親族にも及んだのだった。

 1日、都内で行われた「韓国・朝鮮人元BC級戦犯者『同進会』50年の歩みを聞く会」で、65歳になった朴一濬さんは、97年に亡くなった父の思い出を語った後に、「傷つけられた名誉と被害の回復のため、日本の良心に訴えたい」と述べた。

 同進会メンバーが起こした裁判は99年、最高裁で敗訴となったが、立法化による謝罪と補償の道は残されている。日本政府の良識を期待したい。(L)