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2008/12/05

<鳳仙花>◆濃密だった韓日古代史の謎解明◆

 韓日古代史の謎がまた一つ解明されようとしている。

 日本の古代国家の中央集権的な統治制度である律令制度が百済の運営を参考にしていた可能性が高いことが、韓国で発見された木簡から明らかになった。木簡研究に力を入れている在日2世の李成市・早稲田大学教授らの調査で分かったものだ。李教授は以前、本紙とのインタビューで「韓国の木簡を検討してみると、日本の漢字文化のルーツが韓半島にあることが分かる」と執念を燃やしていたが、今回の発見はいろいろと波紋を広げそうだ。

 今回百済の都、扶余で発見された木簡は、推挙(すいこ)の記録と判断された。世界の農耕社会では、種まき期に種子を貸与し、収穫期に利子を付けて返済させる慣行があったとされ、この利子付き貸借を指す用語が推挙で、これは律令国家の飛鳥時代に国の財政の柱として組み込まれていた。書式や利子率など日本の出土木簡と共通しており、李教授によると、財政制度としての推挙は百済からやってきたことが今回の調査で分かったという。

 木簡とは、墨で文字が書かれた細長い木の板のことで、紙の普及により廃れるまでは古代の東アジアで広く使われていた。韓国で木簡の本格的な発掘が進めば、また新たな歴史事実が判明するかもわからないが、歴史的に韓日が濃密な関係にあったことは疑いようがない。その結びつきの深さは、7年前の明仁天皇の次のような発言からも明らかだ。

 「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」

 最近訪韓した日本古代史の権威、上田正昭・京都大学名誉教授も「6世紀後半から7世紀全般にわたって韓半島から渡ってきて、日本の飛鳥文化を導いた技術者らの役割は大きかった」と述べている。

 李明博大統領は最近、日韓協力委員会代表団との懇談で、「韓日は『近くて近い国』に向かうことが必要だ」と訴えたが、韓日が古代に親しい関係にあった歴史事実に学ぶことから始めてほしい。それが本当に「近くて近い関係」に向かう一歩だと思う。(S)