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2011/02/04

<鳳仙花>◆国民的作家・朴 婉緒(パク・ワンソ)の死を悼む◆

 韓国の女流作家・朴婉緒(79)が亡くなった。39歳の時、「裸木」でデビューした遅咲きの作家だったが、その後40年間、100編を超える短編と15編の長編を書き、10万人の固定読者をもつ国民的作家となっただけに、「韓国文壇を支える支柱が抜かれた」との悲しみが伝わってくる。

 朴女史は、韓国戦争で兄や叔父、叔母を亡くし、惨めで辛い体験と絶望感を忘れることができなかった。その体験を元に書いた「裸木」で、そうした心の傷の救済を求めようとした。李箱文学賞を受賞した「母の杭」も戦争を女性の体験という視点から見つめた作品だ。遺稿となった散文集「行ったことのない道がもっと美しい」でも、「60年経っても癒えることなく疼く私の中の傷跡だ」と記しており、韓国戦争が終生変わらぬ創作の原点だったようだ。

 作風は、人間の内面に分け入り、複雑で多面的な人間理解の境地をみせた。「揺れる午後」などで70年代以後の急速な産業化で登場した俗物化した小市民の意識を鋭く解剖し、「出産パガヂ」(穂高書店刊「韓国女性作家短編選」収録)などで女性を抑圧しているあらゆる制度と偏見を赤裸々に描き出した。朴女史の故郷は韓国戦争で北朝鮮側に取り込まれ、生涯故郷訪問を果たせなかった。故郷に行けない喪失感と今も継続する分断体制の矛盾を指摘した作家でもある。

 遅咲きの国民的作家といえば、42歳で文壇デビューし、多くの読者を獲得した松本清張が思いだされる。辻井喬氏は「私の松本清張論」(新日本出版社)で社会的弱者、差別された側に立ち、タブーに挑んだ国民作家と回顧、「差別される側の人間の哀しみや憤りを知っているに違いない」と記している。作風などに違いはあるが朴女史との一番の共通項は、差別や偏見を凝視し、社会病理にメスを入れている点だろう。しかし、ともに人間に対する優しさに貫かれているからこそ、多くの読者から共感を得たのだろう。この韓日2人の作家の思いはどんな形で継承されているだろうか。合掌。(S)